ふたり | ||
---|---|---|
著者 | 赤川次郎 | |
イラスト | 大島弓子 | |
発行日 | 1989年1月 | |
発行元 | 新潮社 | |
ジャンル | 長編小説 | |
国 | 日本 | |
言語 | 日本語 | |
ページ数 | 255 | |
次作 | 『いもうと』 | |
公式サイト | www.shinchosha.co.jp | |
コード |
ISBN 978-4-10-338113-6 ISBN 978-4-10-132718-1(文庫判) | |
ウィキポータル 文学 | ||
|
『ふたり』は、赤川次郎の小説。1989年1月新潮社刊。事故死してしまったしっかり者の姉と、姉に頼ってばかりいた妹との、奇妙な共同生活を温かくつづった青春ファンタジー。大島弓子がカバーイラストを手がけた。新潮文庫版は何度か装画担当者が変わったが、『いもうと』の刊行に合わせて大島弓子のイラストに戻った[1]。
大林宣彦監督により1990年にテレビドラマ化、1991年に「新・尾道三部作」第1作として映画化されたほか[2]、映像・舞台化されている。
11年後を描いた続編『いもうと』が2019年10月に新潮社より刊行された[3]。カバーイラストは大島弓子。
発行部数は2003年時点で約230万部[4]。
赤川次郎の代表的作品であり、本人も名刺代わりの作品であると述べている[5]。本作の後半では父親の不倫話も扱っているが、子どもの読者層に配慮して書かない方がいいのではないかという意見もあったという[5]。しかし子どもだからファンタジーというのは間違いであり、実際に子どもの身にも起こりうることは小説の中で経験しておいてほしいという赤川の思いからそのまま執筆された[5]。
この節にあるあらすじは作品内容に比して不十分です。 |
北尾実加が中学2年の時、高校2年の姉・千津子は、成績優秀でピアノが上手くスポーツも得意で、高校の演劇でヒロインを務め、教師や同級生からも慕われていて、実加も憧れていた。しかし、ある日の登校中に交通事故に巻き込まれ、突然この世を去ってしまう。ところがその後、死んだはずの姉の声が実加の頭の中に聞こえてくるようになった。姉の声は自分にしか聞こえないけれど、自分を確実に見守ってくれていた。
千津子の死で精神的に不安定になった母、突然単身赴任する父、親友の父の死や心中騒動など、実加の周りでは様々な事件が起こる。姉が得意だったピアノやマラソン、演劇での活躍、そして、恋と友情。姉のアドバイスもあり実加はそれらの困難を乗り越えて次第に精神的にも成長していく。様々な経験を通じていつしか実加が姉の年齢に近づいたとき、父の浮気が発覚。激高した母、家庭崩壊の時、実加が感情的に発してしまった一言で姉の声が聞こえなくなってしまう。
この節には内容がありません。(2020年8月) |
ふたり | |
---|---|
監督 | 大林宣彦 |
脚本 | 桂千穂 |
原作 | 赤川次郎 |
出演者 |
石田ひかり 中嶋朋子 富司純子 岸部一徳 尾美としのり 中江有里 島崎和歌子 |
音楽 | 久石譲 |
主題歌 |
大林宣彦&FREIENDS 「草の想い」 |
撮影 | 長野重一 |
編集 | 大林宣彦 |
製作会社 |
ギャラック PSC NHKエンタープライズ |
配給 | 松竹 |
公開 | 1991年5月11日 |
上映時間 | 155分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
配給収入 | 1億円[6] |
原作の舞台は東京だが[2]、大林宣彦監督により、舞台を広島県尾道市に移し[2]、「新尾道三部作」の第1作として1991年に映画化され、同年5月11日に松竹の配給にて公開された[2][7]。
先にNHKのテレビドラマとして製作され、テレビ放映後再編集して劇場公開された[2][8]。当初から劇場公開を想定しており、外部演出家である大林の起用や35ミリフィルム(劇場公開用)での撮影などNHK作品としては異例の要素が多い[8]。
原作者の赤川次郎は本作を映画化して欲しくない作品としていたが、大林がそれを承知で交渉に来たと知るとこれを承諾した[8]。映画は原作にほぼ忠実で、赤川自身でさえ限りなく近いので驚いたという。原作では千津子は声のみの出演で姿は現さない設定であるが、映画では千津子が幽霊として姿を現すという設定(ただし実加にしか見えない)になっている。
「尾道三部作」の影響で尾道にファンが訪れ、忘れられていた古い町が賑わうになり、「尾道は映画の町」と言われるようになったことから、映画の影響力は凄いと感じていた大林は改めて尾道に恩返しをしなければいけないと思い、「新尾道三部作」を構想していたが、具体的なアイデアは何も浮かんではいなかった[2]。そこに偶然二人の人物から「赤川次郎の小説『ふたり』を読んだか」、「あれを大林監督作で観たい」という連絡が来た[2]。大林が早速読んでみたところ非常に面白いと、大林は赤川と会い、映画化を打診した[2]。それで、何かの拍子に、「これ尾道で撮ろうと思うんです」と大林が口走ったら、赤川が「尾道で撮るのなら変な映画になるわけはない。全部お任せします」と映画化が決まった[2]。
石田ひかりは、中学3年のとき、アイドル歌手としてデビューしたが、鳴かず飛ばずで3年[10]、NHK朝ドラのヒロインオーディションに落ちたところでミュージック・ビデオの撮影で大林組の常連スタッフで、メイク担当の岡野(和栗)千江子に会い[10]、『ふたり』のヒロインを探していた大林に連絡を取ってもらい、大林夫妻と青山スパイラルカフェで会い、軽い雑談程度だったが、大林が気に入ってヒロインに抜擢した[10][11]。ちなみに石田は、その翌年放映の朝ドラ『ひらり』のヒロインオーディションに受かっている[12]。
中江有里も本作がデビュー作。この映画で苦手のマラソンを克服して長野オリンピックでは聖火ランナーの一人として参加した[13]。
福本渡船や浄土寺、千光寺、尾道駅、尾道市立土堂小学校、浄土寺山不動岩展望台など、尾道の風景が映画の随所に使用されている[14][15]。北尾家は実在する家が撮影に使用されたが、屋内の撮影についてはロケセットが使用された[16]。
撮影期間は大林の映画にしては長い2か月間で、尾道でのオールロケのため、主演の石田は、18歳の夏のまるまる2か月間尾道に住んだ[10][11]。撮影のない日は、自転車で尾道の山坂を駆け回ったり大好きな海で海水浴をしたりと楽しく過ごせると思っていたが、撮影期間はひと夏でも、四季を通じた三年間の物語なので、「日に焼けてはいけない・海に入るのもダメ・街へ出る時は日陰を歩きなさい」と指示された。最初は酷いところに来てしまった、がっかりしたと思ったが、あるとき北尾実加としてなら生きられるということに気づき、喜びを感じ始めた。それを待って大林は撮影をスタートさせた[11]。
千津子が事故にあうシーンは尾道市の海徳寺下の小さな路地で撮影された。あまりに狭い路地のために、事故を起こすトラックは、右側半分だけを切断して用いた。落下する木材は発泡スチロールで、千津子はマンスタントの女性が演じた。本撮影場所は映画公開後も長年花束を備えるファンが絶えなかった[16]。
ハイビジョンの合成による映像も用いて撮影された。駅伝のシーンではフィルムとビデオでの1秒間のコマ数の差を利用した実験的な映像が使われている[8]。撮影場所としては、岩子島のトンネルや橋、向島の海岸路などが使用された。
千津子の死を神永智也に伝えるシーンでは、マリンパーク境ガ浜の海上水族館が選ばれ、生演奏のベートーヴェン交響曲9番のコンサートを開催。その風景と花火大会の映像がデジタル合成された[16]。
大林は前日の撮影を受けて毎日セリフを変えた[10]。毎朝起きるとドアの下に「今日の差し込み台本です」と原稿が置かれた[10]。石田は高校3年の夏を北尾実加として生き、完成品を観たとき「これって私? 私こんなことしたっけ?」という印象を持った[10]。どこか幽体離脱していたような感覚があり、まるで別の人格が画面の中にいるように見えたという[10]。映画出演第一作で衝撃的な感覚を知ってしまったため、その後「まだ『ふたり』のときのあの感覚に行けていない」と苦しむことが多かったという[10]。石田が大林監督と最後に会ったのは2019年9月。『海辺の映画館―キネマの玉手箱』の試写に誘われて試写室で会った。「監督は『ふたり』の続編があるから、ひかり、来年スケジュールを空けておきなさいね』とおっしゃられてすごく嬉しかった。実現していたらどんなお話になっていたんでしょう。監督の作品は残酷な一面もあったりするけれど、何よりも大きな愛を感じます。そういえば、『ふたり』の台本のキャスト一覧の最初には『愛すべき登場人物たち』と書かれていました。そんな風にして作品に対する思いを伝えて下さる監督は、他にはなかなか思い浮かばないです。こうして振り返ってみると、スパイラルカフェの入り口で、監督と恭子さんが二人で腕を組んで歩いてきたあの瞬間に私の人生は大きく変わったんだなと思います。あの二人の姿は今でも鮮明に覚えています。いろんな出会いが私の人生を変えてくれたと思いますが、大林監督との出会いは言葉では言い尽くせないほど大きなものです」などと述べている[10]。
スタッフキャスト100人で、千光寺道、大林監督の実家前に撮影で訪れた際、『濹東綺譚』のワンシーンを撮影中の新藤兼人監督の撮影クルーと鉢合わせた[17]。20人ほどのこぢんまりとしたスタッフで淡々と表現できる新藤組に「さすが『裸の島』を撮られた方だ」と大林組一同畏敬の念を抱いたという[17]。
NHKで一度テレビ放映した作品を半年後に映画館で上映してわざわざ映 画館に見に来る人がいるのか、客は入らないのではないかという大方の予想に反して、興行的には一定の成功を収めることができたとされる[2]。
大林は撮影を通じて石田に惚れ、19歳の石田を見てみたいと『はるか、ノスタルジィ』のヒロインに起用した。しかし『はるか、ノスタルジィ』のヒロイン・はるかは北尾実加とは全然違う役で、難しい撮影になった[11]。
三木孝浩監督は本作に大きな影響を受け、何度も映画館に通ったと話している[18]。
この節の加筆が望まれています。 |
ふたり | |
---|---|
ジャンル | テレビドラマ |
原作 | 赤川次郎 |
脚本 | 桂千穂 |
監督 | 大林宣彦 |
出演者 |
石田ひかり 中嶋朋子 |
音楽 | 久石譲 |
国・地域 | 日本 |
言語 | 日本語 |
製作 | |
プロデューサー |
中村李恵 高木泰彦 |
制作 | NHKエンタープライズ(共同制作) |
製作 | NHK(企画・制作) |
放送 | |
放送チャンネル | NHK総合テレビジョン |
放送国・地域 | 日本 |
放送期間 | 1990年11月9日 - 11月16日 |
放送時間 | 金曜 20:00 - 20:44 |
放送枠 | 子どもパビリオン |
放送分 | 44分 |
回数 | 2 |
この節の加筆が望まれています。 |
1990年11月9日と16日の2回、NHK総合テレビジョンで子どもパビリオンとして放送。
映画と同時撮影のためキャストは同じだが、実加が千津子を回想する場面から始まるなど、オンエア時間にあわせるためのカット・編集が大林監督自身により行なわれている。竹中直人演じる医師も、NHK版ではまったく登場しない。
この節には内容がありません。(2020年8月) |
放送回 | 放送日 | サブタイトル |
---|---|---|
第一部 | 11月 | 9日草の章 |
第二部 | 11月16日 | 花の章 |
1997年4月14日 - 6月23日まで全11回でテレビ朝日系列で月曜ドラマ・インとして製作、放送された。キャストなどは全く異なる。
各話 | 放送日 | サブタイトル | 演出 | 視聴率 |
---|---|---|---|---|
第1話 | 1997/4/14 | お姉ちゃんの死 | 新城毅彦 | 14.0% |
第2話 | 1997/4/21 | 私が死ねばよかった | 9.4% | |
第3話 | 1997/4/28 | ひどい仕打ち | 五木田亮一 | 9.5% |
第4話 | 1997/5/5 | 突然のさよなら… | 10.3% | |
第5話 | 1997/5/12 | 切り裂かれた思い出 | 新城毅彦 | 9.3% |
第6話 | 1997/5/19 | バラバラになった家族!! | 9.2% | |
第7話 | 1997/5/26 | もう誰も信じない!! | 五木田亮一 | 8.5% |
第8話 | 1997/6/2 | ずっとお前が好きだった | 10.2% | |
第9話 | 1997/6/9 | あばかれた嘘と秘密!! | 志村彰 | 10.8% |
第10話 | 1997/6/16 | サヨナラ実加もう会えない!! | 新城毅彦 | 10.4% |
最終話 | 1997/6/23 | 運命の事故と永遠の別れ | 9.9% | |
平均視聴率10.1%(視聴率は関東地区・ビデオリサーチ社調べ) |
テレビ朝日系 月曜ドラマ・イン | ||
---|---|---|
前番組 | 番組名 | 次番組 |
名探偵保健室のオバさん
(1997年1月6日 - 3月10日) |
ふたり
(1997年4月14日 - 6月23日) |
ガラスの仮面(第1シリーズ)
(1997年7月7日 - 9月15日) |
NHK-FM「青春アドベンチャー」にてラジオドラマ化され、1993年7月5日から7月16日に全10回で放送された。
アミューズ創立25周年企画として『FUTARI -ふたり-』のタイトルでミュージカル化。2003年8月18日から24日まで全労済ホールスペース・ゼロで上演された。全10公演。
当初は富田靖子が出演し、キャストのオーディションにも立ち会うと発表されていたが、椎間板ヘルニアのために降板することになり[4]、奥山佳恵が代役として出演した[20]。
2004年8月1日から11日まで全労済ホールスペース・ゼロで全15公演、8月19日から21日まで大阪・リサイタルホールで全5公演が上演された。