アメリカ革命人民同盟 Alianza Popular Revolucionaria Americana | |
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党旗 | |
党首 | セサル・トレジェス |
成立年月日 | 1924年5月7日 |
共和国議会 |
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政治的思想・立場 |
中道左派 社会民主主義[1] 民族主義[1][2] 民主社会主義[3] 進歩主義 |
国際組織 |
社会主義インターナショナル ラテンアメリカ・カリブ政党常設会議 |
公式サイト | Partido Aprista Peruano |
アメリカ革命人民同盟(アメリカかくめいじんみんどうめい、スペイン語: Alianza Popular Revolucionaria Americana、略称:APRA[2])は、1924年5月7日にビクトル・ラウル・アヤ・デ・ラ・トーレが亡命先のメヒシコシティで設立したペルーの中道左派政党である。社会主義インターナショナルに加盟している。党名の略称から単にアプラ(APRA)党とも。
当初はホセ・カルロス・マリアテギとも交流があった創設者のアヤ・デ・ラ・トーレはマルクス主義を標榜し[4]、折から起きていたインディヘニスモ運動への接近を軸にペルーでの社会主義暴力革命を目指していた。同党はペルーの政治の中で次第に大きな勢力となり、ペルー軍、ペルー警察との衝突の中、党の弾圧を行ったペルーの大統領、サンチェス・セロの暗殺などを実行したが、次第にペルーの寡頭支配層と結び付き、1960年代にはペルーの腐敗した民主主義の一翼を担う存在となった。
1968年に成立したフアン・ベラスコ・アルバラード将軍の率いるペルーの軍事革命政権と対立すると、軍政とアプラ系の労働組合は互いに衝突を繰り返したが、ベラスコ将軍が自らの健康上の理由で失脚してペルー革命が不完全な成果のまま終焉し、その後の軍事政権が1980年の選挙で民政移管すると、1985年に党首のアラン・ガルシアが大統領となり、党は結党以来61年目にしてはじめてペルーの政権を握ることとなった。
その後2006年の選挙で再びアラン・ガルシアが大統領に選出された。