アルジャーノン・タルマージ Algernon Talmage | |
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自画像 | |
生誕 |
1871年2月23日 イギリス、ファイフィールド(Fifield) |
死没 |
1939年9月14日 (68歳没) イギリス、ロンドン |
アルジャーノン・タルマージ(Algernon Mayow Talmage RA ROI、1871年2月23日 - 1939年9月14日)は、イギリスの画家である。イギリス、コーンウォール州の海岸の町、セント・アイヴスで活動した印象派の画家のグループ「セント・アイヴス派」の画家の一人である[1]。
オックスフォードシャーのファイフィールド(Fifield)で牧師の息子に生まれた[2] 。幼い頃に銃の事故のため右手が不自由になり、左手で絵を描く事になり、また第一次世界大戦中に軍務につくことは無かった[3]。1892年にハートフォードシャーのブッシー(Bushey)のフーベルト・フォン・ヘルコマーの美術学校で学び、ルーシー・ケンプ=ウェルチ(Lucy Kemp-Welch: 1869–1958)の指導をうけ、風景画や馬などを描いたとされる[4]。美術学校を卒業すると、コーンウォール州のセント・アイヴスに移り、セント・アイヴス派の画家として活動した。
1896年にコーンウォールの画家、ガートルード・ロー(Gertrude Rowe 1866-1941)と結婚し、2人の娘が生まれた。
1900年にアルバート・ジュリアス・オルソン(1864-1942)らとセント・アイヴスで美術学校を設立したり[3]、妻のガートルードと美術学校を運営したりした。タルマージはカナダの女性画家、エミリー・カー(1871-1945)や、オーストラリアの画家、ウィル・アシュトン(Will Ashton: 1881–1963) も指導したことで知られている。
1902年にロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの会員に選ばれた。1909年にロンドンで最初の個展が開かれた。
1907年にガートルードと離婚し、元学生であった画家のヒルダ・フェアロン(Hilda Fearon: 1878–1917)とロンドンのチェルシーに移ったが結婚はしなかった。
風景画や風景の中の家畜などを描いた。オーストラリア・パイオニア・クラブ(Australasian Pioneers Club)の設立者からの注文されて、1938年がアーサー・フィリップが初代のニューサウスウェールズ州総督に任命されてから150年になるのを記念する絵画「1788年1月のオーストラリアの建国(The Founding of Australia. By Capt. Arthur Phillip R.N. Sydney Cove, Jan. 26th 1788)」という作品も描いた[5]。
1839年にロンドンで亡くなった。