アレン・K・オノ Allen K. Ono | |
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![]() アレン・オノ中将(1987年) | |
生誕 |
1933年12月31日![]() |
死没 |
2016年8月1日 (82歳没)![]() |
所属組織 | アメリカ陸軍 |
軍歴 | 1955年 - 1990年 |
最終階級 | 中将(Lieutenant general) |
除隊後 | 企業役員 |
墓所 | 国立太平洋記念墓地 |
アレン・ケンジ・オノ(Allen Kenji Ono, 1933年12月31日 - 2016年8月1日)は、アメリカ合衆国の軍人。アメリカ陸軍の将校として、人事幕僚長補(Deputy Chief of Staff for Personnel)などを歴任した[1]。最終階級は中将。
オノは日系アメリカ人として[2][3][4]、また同時にアジア系アメリカ人として最初の陸軍中将だった[5][6]。
1933年、ハワイ州ホノルルにて日系二世として生を受ける。姉と弟がいた。日本出身の両親は元々サトウキビ農場で働いていたが、後により良い仕事を求めて市街地へと移った。オノ家はハワイ在住であったため、1941年の太平洋戦争勃発後も強制収容の対象とはされなかった。少年期のオノや友人たちにとっての英雄は、大戦に従軍した日系兵士たちだった[7]。
1955年、ハワイ大学の予備役将校訓練課程(ROTC)を経て陸軍少尉に任官。その後、陸軍募集コマンド(USAREC)司令官などを務めたほか、1986年からは人事幕僚長補(Deputy Chief of Staff for Personnel)を務めていた[1]。オノは1986年の昇進により、アジア系アメリカ人将校としては最初の陸軍中将となった[8]。
1975年、同じくホノルル出身の日系人イブリン・サチコ・マサキ(Evelyn Sachiko Masaki[9], 1933年 - 2010年)と結婚[10]。
1990年に陸軍を退役。その後はハワイに戻り、アメリカンセービング銀行にて役員を務めた。2016年、82歳で死去し、国立太平洋記念墓地に埋葬された[1]。
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