閣下 第10代アソル公爵 ジョージ・イアン・マレー DL | |
---|---|
![]() 10代公爵、ブレア城にて アラン・ウォーレン撮影 | |
個人情報 | |
生誕 | 1931年6月19日 |
死没 | 1996年2月27日(64歳没) |
国籍 | イギリス |
政党 | 保守党 |
身長 | 195 cm (6 ft 5 in) |
出身校 | クライスッチャーチ・カレッジ,オックスフォード大学 |
渾名 | チビのイアン(Wee Iain) |
第10代アソル公爵ジョージ・イアン・マレー(英語: George Iain Murray, 10th Duke of Atholl,DL、1931年6月19日 - 1996年2月27日)はイギリスの貴族、地主。
ジョージ・アンソニー・マレー陸軍中佐(George Anthony Murray、1907年1月7日 - 1945年4月戦死)とアンゲラ・ピアソン(Angela Pearson、第2代カウドレー子爵の娘)との長男として生まれた[1]。彼は第3代アソル公爵の次男ジョージ・マレーの昆孫にあたっており、遠縁ながら公爵家の親族であった[註釈 1][1]。
イートン校に学んだのち、オックスフォード大学クライストチャーチ・カレッジに進学、学士課程を修了した[2]。本家筋の第9代アソル公爵が1957年に子のないまま死去すると、アソル公爵位を始めとするスコットランド貴族爵位を継承した[1][2]。この際に併せて父祖の地所を相続した。翌年にはスコットランド貴族代表議員に選ばれて1963年までその職を務めた[2]。貴族院議員として月曜会に所属した[3]。1966年には休止していた公爵家私兵アソル・ハイランダーズを再興している[4]。儀仗兵アソル・ハイランダーズは公爵家旧邸宅ブレア城を拠点として、現在も同地で活動している[4]。また、1980年にパース=キンロス州副統監(Deputy Lieutenant of Perth and Kinross)に就任した[2]。
公爵は生涯未婚であったことから、爵位は親族のジョン・マレーへと継承された[1][2]。ジェームズは死の前日に邸宅アソル城と一族の地所について、慈善団体アソル・エステート(Atholl Estate)への寄付を発表した[5]。同トラストはかつての公爵家地所145,000エーカー(約580㎢)を擁して事業展開を続けている[5]。
スコットランドの爵位 | ||
---|---|---|
先代 ジェイムズ・ステュワート=マレー |
アソル公爵 1957年 – 1996年 |
次代 ジョン・マレー |