ウィリアム・ダウェル William Dowell | |
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生誕 | 1825年8月2日 |
死没 |
1912年12月27日(87歳没) イギリス デヴォンビディフォード |
所属組織 | イギリス海軍 |
軍歴 | 1839年 - 1890年 |
最終階級 | 海軍大将 |
除隊後 | 孤児院院長 |
サー・ウィリアム・モンタギュー・ダウェル(英語:Sir William Montagu Dowell, GCB)は、イギリス海軍の将校。デヴォンポート司令官を務めた。
1839年にイギリス海軍に入隊[1]。クリミア戦争(1853年 - 1586年)では黒海方面に従軍[1]。その後、1857年にホーネット艦長就任[2]以来、バロッサ艦長、ユーライアス艦長、トパーズ艦長、リアンダー艦長を歴任し、バロッサ艦長時代の1863年には下関戦争の砲撃に加わった[1]。1867年に西アフリカ艦隊喜望峰艦隊司令官。1871年にハーキュリーズ艦長[1]。1877年に海峡艦隊副司令官、1878年にアイルランド艦隊先任将校、1882年海峡艦隊司令官、1884年に中国艦隊司令官、1888年にデヴォンポート司令官を歴任した。1890年に退役し[1]、プリマスの王立女性孤児院の院長を務めた[3]。
1855年にキャロライン・ジョンナ・パイクと結婚した[1]。