ウィリアム・ケンゾー・ナカムラ William Kenzo Nakamura 中村 健造 | |
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生誕 |
1922年1月21日 アメリカ合衆国 ワシントン州 シアトル |
死没 |
1944年7月4日(22歳没) イタリア カステッリーナ・イン・キアンティ近郊 |
所属組織 | アメリカ陸軍 |
軍歴 | 1942 - 1944 |
最終階級 | 上等兵 |
戦闘 | 第二次世界大戦 |
ウィリアム・ケンゾー・ナカムラ(William Kenzo Nakamura、日本名:中村 健造[1]〈なかむら けんぞう〉、1922年1月21日 - 1944年7月4日)は、日系アメリカ人のアメリカ陸軍第442連隊戦闘団上等兵。第二次世界大戦時の活躍により、名誉勲章受章者となった。
ワシントン州シアトルで、日本では刀工として働き、渡米後は理容所を営んだ父ジョージ・多吉の次男として生まれる。ワシントン大学在学中の1941年12月に太平洋戦争が勃発し、母は開戦の1ヶ月後に癌で亡くなっている。母の死の2か月後に、一家と共にアイダホ州のミニドカ収容所に収監される[2]。
1944年7月4日に、第442連隊戦闘団の上等兵の階級にあったナカムラは、イタリアのカステッリーナ・イン・キアンティ近郊で、敵の機関銃の砲床を独力で破壊した後、自身の部隊の撤退を援護することを申し出た。その直後に、自身の小隊に発砲してくる別の機関銃の砲床に反撃している間、殺害された。
これらの行為によって、当初は殊勲十字章が授与されていたが、1990年代になって全てのアジア系アメリカ人の殊勲十字章受賞歴を再調査したところ、名誉勲章に格上げされることとなった。2000年6月21日にホワイトハウスで執り行われた式典において、ビル・クリントン大統領からナカムラの遺族に名誉勲章が贈呈された。
現在は、故郷シアトル近郊にあるEvergreen-Washelli Memorial Parkに埋葬されている。
ナカムラが受賞した名誉勲章には下記のように記されている。