ウィンドフォール・レコード | |
---|---|
設立 | 1969年 |
設立者 | フェリックス・パパラルディ、バッド・プラガー(Bud Prager) |
現況 | 1974年に閉鎖 |
販売元 | ベル・レコード (1969年–1972年) コロムビア・レコード (1972年–1974年) |
ジャンル | ハードロックほか |
国 | アメリカ合衆国 |
本社所在地 | ニューヨーク州 ニューヨーク |
ウィンドフォール・レコード(Windfall Records)は、1969年から1974年まで運営されたアメリカ合衆国のレコード・レーベルである。音楽プロデューサー兼ロック・ミュージシャンのフェリックス・パパラルディとマネージャーのバッド・プラガー(Bud Prager)[1][注釈 1]が設立した。
パパラルディは1960年代半ばからニューヨークを拠点にプロデューサーとして活動し[注釈 2]、1967年にはイングランドのクリームに起用されて1969年の解散までにアルバム3作をプロデュースして大いに名を高めた。
1969年、彼はマネージャーのプラガー[2]とウィンドフォール・レコードを設立。ゲイル・コリンズがレーベルのロゴをデザインし、ベル・レコードが配給元になった。パパラルディはヴァグランツ[注釈 3]のメンバーだったレスリー・ウェスト(ギター、ボーカル)のソロ・デビュー・アルバムのプロデューサーを務めて、曲作りと演奏にも参加し、ウィンドフォール・レコードからの初アルバムとして発表した。さらに彼はウェストらとマウンテンを結成し、プラガーとマネージメントの契約を結んで[3]、1970年にウィンドフォール・レコードからデビュー・アルバムを発表した。
1972年1月、マウンテンはパパラルディの健康を理由に解散した。ウェストとメンバーのコーキー・レイングはジャック・ブルースとウェスト、ブルース&レイング(以下、WBL)を結成した。ブルースがWBLと同じ3人編成のクリームの元メンバーで、ウェストとレイングがクリームのプロデューサーだったパパラルディと活動していたことから、音楽業界はWBLの結成を『第二のクリーム』の誕生と捉えて並々ならぬ関心を抱いた。プラガーはコロムビア・レコードの社長であるクライヴ・デイヴィスと交渉してWBLとコロムビア・レコードとの契約を100万ドルでまとめた。ウィンドフォールはコロムビアの親会社であるCBSレコードの傘下に入り[4]、WBLのレコードはコロムビアによって配給されることになった[5]。
WBLはスタジオ・アルバムを2作発表した後、1973年に活動を停止し、パパラルディとウェストはマウンテンを再結成した。1974年、コロムビアを配給元としてウィンドフォール・レコードからマウンテンの再結成後のライブ・アルバムとスタジオ・アルバム、既に実質解散したWBLの1972年のツアーのライブ・アルバムが発表された。しかし同年末にマウンテンは解散。ウィンドフォール・レコードは閉鎖された。