基本情報 | |
---|---|
通称 | El Chapo |
階級 |
ライト級 ジュニアウェルター級 |
身長 | 168cm |
国籍 | プエルトリコ |
誕生日 | 1963年3月15日 |
出身地 | プエルトリコ |
死没日 | 1997年12月1日(34歳没) |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 53 |
勝ち | 47 |
KO勝ち | 41 |
敗け | 6 |
エドウィン・ロサリオ(Edwin Rosario、1963年3月15日 - 1997年12月1日)は、プエルトリコの男性プロボクサー。元世界2階級王者(ライト級、ジュニアウェルター級)。
1983年5月1日、22戦目で世界王座初挑戦。WBC世界ライト級王座決定戦でホセ・ルイス・ラミレスと対戦し、12回判定勝ちで無敗のまま世界王座を獲得した。同王座は2度の防衛に成功した。
1984年11月3日、3度目の防衛戦でラミレスと再戦し、4回TKO負けで王座から陥落した。
1986年6月13日、WBC世界ライト級王者ヘクター・カマチョに挑戦し、12回判定負けで王座返り咲きならず。
1986年9月26日、WBA世界ライト級王者リビングストン・ブランブルに挑戦し、2回KO勝ちで王座を獲得した。同王座はファン・ナサリオ相手に1度の防衛に成功した。
1987年11月21日、2度目の防衛戦でフリオ・セサール・チャベスと対戦し、11回TKO負けで王座から陥落した。
1989年7月9日、WBA世界ライト級王座決定戦でアンソニー・ジョーンズと対戦し、6回TKO勝ちで王座に返り咲いた。
1990年4月4日、初防衛戦でファン・ナサリオと2年8か月ぶりに再戦し、8回終了時TKO負けで王座から陥落した。
1991年6月14日、1階級上のWBA世界ジュニアウェルター級王者ロレト・ガルサに挑戦し、3回TKO勝ちで2階級制覇に成功した。
1992年4月10日、メキシコシティで行われた初防衛戦で平仲明信と対戦し、初回1分32秒TKO負けで王座から陥落した[1]。
1993年1月30日、フランキー・ランドールと7年7か月ぶりに再戦し、7回TKO負け。この試合を最後にブランクを作った。
1997年5月22日に4年4か月ぶりの復帰戦を行い、復帰戦を含め5か月連続で試合を行う。
1997年12月1日、別れた妻と子供の住む家を訪れるが、気分が悪いとして1時間ほどで滞在を切り上げ、両親と暮らす自宅に帰宅する。翌日父親がベッドの上で死んでいるロサリオを見つける。検死の結果、死因は動脈瘤であり麻薬とアルコール中毒が原因とされた。34歳没。
空位 前タイトル保持者 アレクシス・アルゲリョ |
WBC世界ライト級王者 1983年5月1日 - 1984年11月3日 |
次王者 ホセ・ルイス・ラミレス |
前王者 リビングストン・ブランブル |
WBA世界ライト級王者 1986年9月26日 - 1987年11月21日 |
次王者 フリオ・セサール・チャベス |
空位 前タイトル保持者 フリオ・セサール・チャベス |
WBA世界ライト級王者 1989年7月9日 - 1990年4月4日 |
次王者 ファン・ナサリオ |
前王者 ロレト・ガルサ |
WBA世界ジュニアウェルター級王者 1991年6月14日 - 1992年4月10日 |
次王者 平仲明信 |