エリザベス・ジョセリン・“ジェイク”・フェインラー (Elizabeth Jocelyn "Jake" Feinler、1931年 3月2日 - )は、アメリカ合衆国 の情報科学者である。1972年から1989年にかけて、スタンフォード研究所(現 SRIインターナショナル )のネットワーク情報システムセンター長を務めた。フェインラーのグループは、インターネット や国防データネットワーク (英語版 ) (DDN)の元となったARPANET におけるInterNIC を運営していた[ 2] 。
フェインラーは1931年3月2日にウェストバージニア州 ホイーリング で生まれ、そこで育った[ 1] [ 2] 。一族で初めて大学に進学し、1954年にウェスト・リバティー大学 (英語版 ) で学士号を取得した。
フェインラーはパデュー大学 の大学院に進学し、生化学の博士号取得を目指して研究していたが、論文を書き始める前に1・2年働いてお金を貯めることにした。そこで、アメリカ化学会 の傘下のChemical Abstracts が実施していた、全ての化合物の索引を作るプロジェクトの助手を務めた。ここで、このような大規模なデータベースを作ることに関心を持つようになり、生化学の世界に戻ることはなかった。1960年にカリフォルニア州のスタンフォード研究所(現 SRIインターナショナル )の情報研究部に加わり、"Handbook of Psychopharmacology "(精神薬理学ハンドブック)と"Chemical Process Economics Handbook "(化学プロセス経済学ハンドブック)の開発に関わった[ 3] 。
フェインラーはSRIの図書館で文献研究セクションの長だったが、1972年、オーグメンテイション研究センター (ARC)を率いるダグラス・エンゲルバート がフェインラーをスカウトした。ARCは、国防高等研究計画局 (DARPA)の情報処理技術室 (英語版 ) が後援していた。ARCでのフェインラーの最初の仕事は、国際コンピュータ通信会議におけるARPANET の最初のデモのためのリソースハンドブックを書くことだった。1974年には、ARPANETのネットワーク・インフォメーション・センター(NIC )の計画と運営を支援する主任研究員になった[ 4] [ 5] 。
NICは、利用者へのリファレンスサービス(当初は電話と物理的な手紙によるものだった)を提供し、利用者の一覧である人名録(ホワイトブック)、提供するサービスの一覧であるリソースハンドブック(イエローブック)、プロトコルハンドブックを編纂・出版していた。BBN のネットワーク・オペレーション・センターが提供された後、NICは名前を登録し、端末のアクセス制御・認証追跡・課金情報を提供し、Request for Comments (RFC)を配布した[ 6] 。
フェインラーは、スティーブ・クロッカー 、ジョン・ポステル 、ジョイス・K・レイノルズ らNetwork Working Group (英語版 ) (NWG)のメンバーと協力して、RFCをARPANET、後のインターネット のための公式の技術ノートに発展させた。NICは、ARCが開発したNLS を使って、初のオンライン文書へのリンクを提供した[ 4] 。エンゲルバートがARCで最先端の研究を継続し、NICが全てのネットワーク利用者にサービスを提供した。このため、NICはフェインラーをマネージャーとする分離したプロジェクトとして設立された[ 7] 。
NWGとフェインラーのチームは、1974年に、シンプルなプレーンテキストによるホスト名の一覧 のフォーマットを定義し[ 8] 、ネットワークの発展とともに何度か改訂した[ 9] [ 10] 。ホストの一覧は、ほぼ毎日更新され続けていた。1975年、国防通信局 (DCA)は、ARPANETを研究用と軍事用のネットワークに分離した。DCAは軍事用ネットワークを国防データネットワーク (英語版 ) (DDN)と呼び、NICはその情報センターとなった。1976年頃に電子メール とFile Transfer Protocol (FTP)が使えるようになると、NICはネットワークを通じてその情報を利用者に開示した[ 4] 。1977年、ポステルが情報科学研究所 に移り、RFCの編集や番号の割当ての機能もポステルとともに移ったが、NICはSRIに残った。1979年、フェインラーのグループは、ネームサービスの規模を拡張する研究を行い[ 11] 、1982年に、オンライン人名録にアクセスするためのプロトコル 「WHOIS 」を開発した[ 12] 。インターネットの拡大に伴い、分散したネームサーバに命名権限を移譲できるようにしたDomain Name System (DNS)が設計された。フェインラーのグループはインターネット全体の命名機関となり、トップレベルドメイン .mil
、.gov
、.edu
、.org
、.com
のドメイン名レジストリ を開発・管理した[ 13] 。
フェインラーは1989年にSRIを退職した後、NASA エイムズ研究センター でネットワーク要件マネージャーとなり、NASAのネットワークのNICを管理するためのガイドラインの作成に携わった。フェインラーは、カリフォルニア州マウンテンビューのコンピュータ歴史博物館 に、初期のインターネットに関する膨大な論文コレクションを寄贈した。1996年にNASAを退職した後は、同博物館のボランティアとして資料の整理を行った[ 3] 。2010年、NICの歴史に関する本を出版した[ 14] 。
2012年、インターネットソサエティ のインターネットの殿堂 に殿堂入りした[ 15] 。2013年7月、インターネットソサエティのポステル賞 (英語版 ) を受賞した[ 16] 。2024年、コンピュータ歴史博物館のコンピュータの殿堂に殿堂入りした。
フェインラーは、「ジェイク」というニックネームについて次のように説明している。
私が生まれた時、ダブルネームは一般的でした。私の本名はエリザベス・ジョセリン・フェインラーで、家族は姉の名前メアリー・ルー(Mary Lou)に合わせてベティ・ジョー(Betty Jo)と呼ぶつもりでした。当時2歳だった姉が呼ぶ私の名前はベビー・ジェイク(Baby Jake)のように聞こえました。私はいつも、ベビーを外してくれて良かったと言っています[ 3] 。
^ a b Interviewed by Janet Abbate (July 8, 2002). “Oral-History:Elizabeth "Jake" Feinler ”. Interview # 597 . IEEE History Center, The Institute of Electrical and Electronics Engineers, Inc.. 2012年9月1日 閲覧。
^ a b Weber, Marc (10 September 2009). Feinler, Elizabeth oral history . Oral histories online. 102702199 . Mountain View, CA: Computer History Museum . X5378.2009. http://www.computerhistory.org/collections/catalog/102702199 September 29, 2013 閲覧。
^ a b c Eleanor Dickman (May 2001). “Internet History Buff: Jake Feinler” . Focus on People section in CORE 2.2 (Computer Museum History Center, Moffett Field, California): p. 14. オリジナル のOctober 1, 2012時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20121001061700/http://www.computerhistory.org/core/backissues/pdf/core_2_2.pdf April 8, 2011 閲覧。
^ a b c “Elizabeth J. Feinler ”. SRI Alumni Hall of Fame (2000年). 2022年2月10日時点のオリジナル よりアーカイブ。2020年2月17日 閲覧。
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^ Harrenstien, Ken; White, Vic (1 March 1982). NICNAME/WHOIS (英語). IETF . doi :10.17487/RFC0812 . RFC 812 。
^ Postel, J. ; Reynolds, J. (October 1984). Domain Requirements (英語). IETF . doi :10.17487/RFC0920 . RFC 920 。
^ Elizabeth Feinler (July–September 2010). “The Network Information Center and its Archives”. Annals of the History of Computing 32 (3): 83–89. doi :10.1109/MAHC.2010.54 .
^ 2012 Inductees Archived 2012-12-13 at the Wayback Machine ., Internet Hall of Fame website. Last accessed April 24, 2012
^ “Elizabeth Feinler Receives 2013 Jonathan B. Postel Service Award - Internet Society ”. internetsociety.org . 2024年6月16日 閲覧。
Elizabeth Feinler's bibliography from dblp: Computer Science Bibliography
"Internet History 1969" , web pages, Computer History Museum, Mountain View, CA, US
"Elizabeth (Jake) Feinler photos" , MouseSite Photo Gallery, Science and Technology in the Making (STIM) web site, Stanford University, Stanford, California, US
Frode Hegland and Fleur Klijnsma. “Jake Feinler ”. Invisible Revolution Web documentary . April 13, 2011 閲覧。 Video of interview.
Elizabeth Feinler and Jon Postel: “ARPANET Protocol Handbook ”. NIC 7104 . Network Information Center (NIC), SRI International (January 1978). October 1, 2012時点のオリジナル よりアーカイブ。April 13, 2011 閲覧。