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日本1号店(代官山店) | |
種類 | 株式会社 |
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略称 | ビュリー |
本社所在地 |
フランス 75006 サン=ジェルマン=デ=プレ |
設立 | 2014年4月 |
業種 | 化学 |
事業内容 |
基礎化粧品 香水 トイレタリー |
代表者 |
ラムダン・トゥアミ(最高経営責任者、 - 2021年) ヴィクトワール・ドゥ・タイヤック |
支店舗数 | 28店(2021年10月現在) |
外部リンク |
buly1803 |
オフィシーヌ・ユニヴェルセル・ビュリー(仏: L'Officine Universelle Buly)とは、フランスパリ6区サン=ジェルマン=デ=プレボナパルト通り6番地に本店を構える、1803年創業の香水、基礎化粧品を取り揃えた総合美容薬局である[1]。
ブランドの休止などを経て、2014年、アートディレクターのラムダン・トゥアミと美容専門家のヴィクトワール・ドゥ・タイヤック(Victoire de Taillac)夫妻によってリブランド、復刻オープンされた。
調香師ジャン=ヴァンサン・ビュリーが18世紀後半から香粧品の開発に着手し[1]、1803年、パリのサントノーレ通りにオフィシーヌ・ユニヴェルセル1号店を構える。
当時、香りの開発技術は秘伝中の秘伝とされ、香水は限られた人間しか持つことができないものだった。 バラを愛したジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ(フランス皇帝ナポレオン・ボナパルトの最初の妻)が新種の花を輸入し、栽培させることに成功すると、香粧品は一般人にも広まっていった[1]。
当時の製造法とは一線を画したビュリーの香粧品は、1806年に制定されたフランス民法典に定められた商業活動の自由を得て、さらに広がりをみせる。
ビュリーは蒸留師、調香師そして美容専門家としても一目置かれる存在となり、小説家オノレ・ド・バルザックの人間喜劇、Scènes de la vie parisienne(パリ生活風景)に分類される作品セザール・ビロトーのモデルにもなった[1]。
ビュリーが作り上げた「オフィシーヌ・ユニヴェルセル」は、オフィシーヌ・ユニヴェルセル・ビュリーに名を改め、 パリをはじめソウル特別市、ロンドン、東京、ニューヨーク、台北市、香港など[2]、国際的に展開。
パリには、6区ボナパルト通りにあるサン=ジェルマン=デ=プレ店[2]のほか、3区サントンジュ通りにマレ店[2]がある。マレ店では、香粧品だけでなくカフェ、ドライフラワーショップも併設しており、19世紀初頭にエドゥアール・マネやジョルジュ・サンドといった文化人、社交界の人々のたまり場として名を馳せた1789年創業のグラン・カフェ・トルトーニ(Café Tortoni de Paris)を蘇らせた。
日本へは2017年4月に上陸した[3]。現在日本は2番目に大きなマーケットで[4]、今後インショップを含む30店の出店を目指す[5]。
2021年10月5日(中央ヨーロッパ時間)[6]、LVMHにより買収され、その傘下ブランドとなった[4][7]。
構成は3つに分かれており、
創業当初の理念を踏襲した古来の製法に忠実ながらも、改良を加え防腐剤のパラベンやフェノキシエタノール、シリコンなどを一切含まない無添加の製品を取り揃える。
原料の香りの広がりと純度を最大限に引き出すため[1]、グリセリンやアルコールなどの香りを妨げるような成分を含まない製法を採用している。
クラシカルなカリグラフィーの文字入れも特徴的で、商品の箱に名前や特別な思いをスタッフが刻印するサービスがある。
石鹸(サヴォン・スゥペールファン)に好きなイニシャル(大文字2文字)をあしらえる刻印サービスにも対応。文字は17世紀のフランス人印刷専門彫刻家であるシャルル・マヴローが考案した[1]、特有の螺旋状に交差するモノグラムを採用。