オンズロー伯爵 Earl of Onslow | |
---|---|
Arms: Argent, a Fess Gules, between six Cornish Choughs proper. Crest: An Eagle Sable, preying on a Partridge proper. Supporters: Dexter: On either side a Falcon close proper, belled Or. | |
創設時期 | 1801年6月19日 |
創設者 | ジョージ3世 |
貴族 | 連合王国貴族 |
初代 | ジョージ・オンズロー(3代オンズロー男爵) |
現所有者 | ルパート・オンズロー(8代伯爵) |
推定相続人 | アンソニー・オンズロー |
相続資格 | 初代伯の直系の嫡出の男系男子(The 1st Earl's heirs male of the body lawfully begotten) |
付随称号 | クランリー子爵 オンズロー男爵(GB) クランリー男爵(GB) (西クランドンの)準男爵(E) |
現況 | 現存 |
邸宅 | クラレンドン・パーク・ハウス |
モットー | FESTINA LENTE(ゆっくり急げ) |
オンズロー伯爵(Earl of Onslow)は、連合王国貴族の伯爵位。ホイッグ党の政治家だった第4代オンズロー男爵ジョージ・オンズローが1801年に叙されたのに始まる。
ピューリタン革命前から王政復古後にわたって長きにわたり下院議員を務めたアーサー・オンズロー(1624-1688)は、1674年5月8日にイングランド準男爵位(サリー州における西クランドンの)準男爵(Baronet, "of West Clandon, in the County of Surrey")に叙せられた[1][2]
その息子である第2代準男爵リチャード・オンズロー(1654–1717)も長きにわたって下院議員を務め、1708年から1710年にかけて下院議長を務め、1714年から1715年にかけては財務大臣を務めた。その後、1716年6月19日にグレートブリテン貴族爵位シュロップシャー州におけるオンズロー、およびサリー州におけるクランドンのオンズロー男爵(Baron Onslow, of Onslow in the County of Shropshire and Clandon in the County of Surrey)に叙されて貴族院議員に列した。この爵位は特別継承者(special remainder)の規定により叔父とその男系男子への継承を認めていた[2][3]
その孫の3代オンズロー男爵リチャード・オンズロー(1715–1776)の死後は、特別継承者の規定に基づき、はとこ(初代準男爵に遡っての分流)にあたるジョージ・オンズロー(1731–1814)が4代オンズロー男爵を継承した[2]。彼はこの襲爵前にホイッグ党の下院議員として活躍し、1776年5月20日にグレートブリテン貴族爵位サリー州におけるインバーコートのクランリー男爵(Baron Cranley, of Imbercourt in the County of Surrey)に叙されて貴族院議員に列していた。この直後の1776年10月8日にオンズロー男爵位を襲爵し、さらに1801年6月19日に連合王国貴族爵位シュロップシャー州におけるオンズローのオンズロー伯爵(Earl of Onslow, of Onslow in the County of Shropshire)とサリー州におけるクランリーのクランリー子爵(Viscount Cranley, of Cranley in the County of Surrey)に叙された[4][5]。
フランスの作曲家のジョルジュ・オンスローは、同性愛スキャンダルでフランスへ亡命した初代伯のヤンガーサンエドワード・オンズローの息子にあたる。
初代伯の玄孫にあたる4代オンズロー伯ウィリアム・ヒラー・オンズロー(1853–1911)は、保守党貴族院の政治家として政府役職を歴任した。1889年から1892年にかけてはニュージーランド総督を務めている[5][6]。
その息子の5代オンズロー伯リチャード・ウィリアム・アラン・オンズロー(1876–1945)も保守党貴族院の政治家として陸軍省政務次官(在職1924年-1928年)や支払長官(在職1928年-1929年)などの政府役職を歴任した[5][7]。
その息子の6代オンズロー伯ウィリアム・アーサー・バンプフィルド・オンズロー(1913–1971)も保守党貴族院の政治家として1951年から1960年にかけて近衛ヨーマン隊長(貴族院与党副幹事長)を務めた[5][8]。
その息子の7代オンズロー伯マイケル・ウィリアム・コプルストン・ディロン・オンズロー(1938–2011)は、1999年の貴族院改革で世襲貴族の議席が92議席に制限された後も世襲貴族枠の貴族院議員に残された[5]。
その息子の8代オンズロー伯ルパート・チャールズ・ウィリアム・ブラード・オンズロー(1967-)が2018年現在の当主である[5][9]。
本邸はサリー州にあるクラレンドン・パーク・ハウス[5]。モットーは「ゆっくり急げ(Festina Lente)」これは家名の「オンズロー」(On-slow)とかけた駄洒落による[10]
現当主ルパート・チャールズ・ウィリアム・ブラード・オンズローは以下の爵位・準男爵位を保有している[5][9]。
アーサー・オンズロー 初代準男爵 (1624-1688) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
リチャード・オンズロー 第2代準男爵 初代オンズロー男爵 (1654-1717) | フット・オンズロー (-1710) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
トマス・オンズロー 第2代オンズロー男爵 (1679-1740) | アーサー・オンズロー (1691-1768) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
リチャード・オンズロー 第3代オンズロー男爵 (1715-1776) | ジョージ・オンズロー 第4代オンズロー男爵 初代オンズロー伯爵 (1731-1814) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
トマス・オンズロー 第2代オンズロー伯爵 (1754-1827) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
アーサー・オンズロー 第3代オンズロー伯爵 (1777-1870) | トマス・オンズロー (1778-1861) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
ジョージ・オンズロー (1813-1855) | アーサー・エドワード・オンズロー (1815-1897) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
ウィリアム・オンズロー 第4代オンズロー伯爵 (1853-1911) | アーサー・エドワード・オンズロー (1862-1927) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
リチャード・オンズロー 第5代オンズロー伯爵 (1876-1945) | ヴィヴィアン・オンズロー (1888-1979) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
ウィリアム・オンズロー 第6代オンズロー伯爵 (1913-1971) | アーサー・チャールズ・オンズロー (1920-) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
マイケル・オンズロー 第7代オンズロー伯爵 (1938-2011) | アンソニー・アーネスト・エドワード・オンズロー (1955-) 推定相続人 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
ルパート・オンズロー 第8代オンズロー伯爵 (1967-) | |||||||||||||||||||||||||||||||||