Kyle Wilber | |||||||||||||
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レイダースでの現役時代(2019年) | |||||||||||||
グリーンベイ・パッカーズ スペシャルチームクオリティコントロールコーチ | |||||||||||||
ポジション | ラインバッカー | ||||||||||||
生年月日 | 1989年4月26日(35歳) | ||||||||||||
出身地 |
アメリカ合衆国 フロリダ州オーランド | ||||||||||||
身長: | 6' 4" =約193cm | ||||||||||||
体重: | 250 lb =約113.4kg | ||||||||||||
経歴 | |||||||||||||
大学 | ウェイクフォレスト大学 | ||||||||||||
初出場年 | 2012年 | ||||||||||||
初出場チーム | ダラス・カウボーイズ | ||||||||||||
所属歴 | |||||||||||||
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NFL 通算成績 | |||||||||||||
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Player stats at PFR |
カイル・ウィルバー(Kyle Wilber 1989年4月26日- )はフロリダ州オーランド出身の元アメリカンフットボール選手。現在NFLのグリーンベイ・パッカーズのコーチを務めている。現役時代のポジションはラインバッカー。
高校時代は、Rivals.comから全米で37番目のディフェンシブエンドとして評価され、進学したウェイクフォレスト大学以外に、セントラルフロリダ大学、コロラド州立大学、ケンタッキー大学、ミシシッピ大学、ネブラスカ大学、ウィスコンシン大学からもリクルーティングを受けた。2007年をレッドシャツで過ごした後、1年次の2008年は先発ディフェンシブエンドとしてプレーし、チーム4位の3サックをあげて、カレッジフットボールニュースよりフレッシュマンのオールアメリカンに選ばれた。2年次の2009年にはベイラー大学との開幕戦でキックブロック、QBサック、ファンブルリカバーと活躍したが、9月12日のスタンフォード大学戦で足を骨折し、7試合に欠場した。復帰戦となった11月7日のジョージア大学戦ではシーズンベストの8タックルをあげた。3年次の2010年は全12試合に先発出場し、チーム3位の65タックル、チームトップの6サックをあげて、アトランティック・コースト・カンファレンスのサードチームに選ばれた。この年シーズン途中に大学のディフェンスが3-4ディフェンスに変更されたことから、ディフェンシブエンドからアウトサイドラインバッカーにコンバートされた。4年次の2011年には自己ベストの70タックル、3.5サックをあげた。大学4年間で43試合に出場し、15タックル(35.5ロスタックル)、13.5サックをあげた[1]。
2012年のNFLドラフト4巡でダラス・カウボーイズに指名された[2]。同年6月14日、4年253万ドルで契約を結んだ。トレーニングキャンプでは、ビクター・バトラー、エイドリアン・ハミルトン、アレックス・オルブライトと控えアウトサイドLBの座を争った。右人差し指を負傷し、オフシーズンの練習の多くを欠場した。さらにプレシーズン第3週のアリゾナ・カージナルス戦で親指を骨折した[3]。シーズン開幕時は、デマーカス・ウェア、アンソニー・スペンサー、ビクター・バトラー、アレックス・オルブライトに次ぐ5番目のアウトサイドラインバッカーとして迎えた。ニューヨーク・ジャイアンツとの開幕戦にスペシャルチームの一員として出場した。この年16試合に出場し10タックル及びスペシャルチームで6タックルをあげた。シーズン終了後、ロブ・ライアン守備コーディネーターがチームから解雇された。
2013年、モンテ・キフィンが守備コーディネーターに就任、4-3ディフェンスにシステムが変わると、彼はディフェンシブエンドにコンバートされた。トレーニングキャンプでは、デボンテ・ホロマンらと控えの座を争った。
9月22日のセントルイス・ラムズ戦でサム・ブラッドフォードをサック、これがプロ初のサックとなった。第6週のワシントン・レッドスキンズ戦にひじを負傷したデマーカス・ウェアの代役として初先発を果たし、1サック、1ファンブルフォースをあげて勝利に貢献した[4]。この年チームには負傷者が続出していたが、ディフェンスラインとしてだけでなく、ジャスティン・デュラントの代わりにストロングサイドLBとしてもプレーした[5]。第13週のオークランド・レイダース戦で、ストロングサイドLBとして初先発した。第14週のシカゴ・ベアーズ戦では10タックルをあげた。この年先発6試合を含む16試合に出場し、44タックル、2サックをあげた。
2014年、MLBのショーン・リーがACLを断裂したため[6]、デュラントがMLBにコンバートされ、ウィルバーは、先発ウィークサイドLBとしてトレーニングキャンプを過ごした。プレシーズンゲームに入るとデマーカス・ローレンスが負傷したこともあり、ラインバッカーとディフェンシブエンドのそれぞれでプレーした。シーズン開幕時には、ストロングサイドLBブルース・カーターの控えとなった。ローランド・マクレインが加入したため、デュラントはミドルLBからウィークサイドLBに戻った。この年彼は先発は3試合だけで、主に控えのパスラッシャーとして起用された。9月14日のテネシー・タイタンズ戦では9タックルをあげた。この年16試合に出場し、27タックル、1,5サックをあげた。2015年1月4日のデトロイト・ライオンズとのプレーオフで自身初のプレーオフ出場を果たし、マシュー・スタッフォードのパスをインターセプト、チームは24-20で勝利した[7]。
2015年、デュラント、ブルース・カーターの退団、マクレインの出場停止により、先発ストロングサイドLBとなり、ミドルLBアンソニー・ヒッチンズ、ウィークサイドLBショーン・リーとともに起用された。第2週のフィラデルフィア・イーグルス戦でパントをブロック、そのままリターンTDをあげた。マクレインが4試合出場停止から復帰すると、控えに降格した。この年全16試合に出場し、27タックルをあげた。またスペシャルチームではチームトップタイの9タックルをあげた[8]。
2016年3月11日、2年325万ドルでカウボーイズと契約を結んだ[9]。デュラント、ヒッチンズ、アンドリュー・ガッカー、ダミアン・ウィルソン、マーク・エンゾチャと先発の座を争った[10]。キャンプ中に背中を痛めたものの先発ストロングサイドLBの座を勝ち取った。第5週のシンシナティ・ベンガルズ戦で先発したものの首を負傷、翌週の試合を欠場、その後も出場機会は減った。12月1日のミネソタ・バイキングス戦でファンブルフォースしたボールを自らリカバー、17-15の勝利に貢献した。この年彼は先発1試合を含む15試合に出場、主にスペシャルチームでプレーした。チームは13勝3敗でNFC東地区で優勝、ディビジョナルプレーオフのグリーンベイ・パッカーズ戦で31-34と敗れた。
2017年、シーズン開幕を先発ストロングサイドLBとして迎えたが、シーズン途中からダミアン・ウィルソンにポジションを奪われた。シーズン途中からは控えディフェンスラインマン及びスペシャルチームの一員としてプレーした。カウボーイズでは2012年から2017年まで先発16試合を含む89試合に出場、104タックル、3.5サック、2ファンブルフォース、4ファンブルリカバーをあげた[11]。
2018年3月17日、オークランド・レイダースと2年275万ドルで契約を結んだ[11]。
2020年シーズンは16試合に出場するも、翌2021年シーズンは2試合の出場に留まり、オフにFAとなった。
2023年3月10日、グリーンベイ・パッカーズのスペシャルチームクオリティコーチに就任した[13]。