ガイウス・スルピキウス・パテルクルス C. Sulpicius Q.f. Q.n. Paterculus | |
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出生 | 不明 |
死没 | 不明 |
出身階級 | パトリキ |
氏族 | スルピキウス氏族 |
官職 | 執政官(紀元前258年) |
指揮した戦争 | スルキ沖の海戦 |
ガイウス・スルピキウス・パテルクルス(Gaius Sulpicius Paterculus)は共和政ローマのパトリキ(貴族)出身の政治家・軍人。紀元前258年に執政官(コンスル)を務めた。
カピトリヌスのファスティによれば、父も祖父もプラエノーメン(第一名、個人名)はクィントゥスであった[1]。
紀元前258年に、アウルス・アティリウス・カラティヌスと共に執政官に就任したが、第一次ポエニ戦争の最中であった。歴史家ポリュビオス(紀元前204年? - 紀元前125年?)によると、パテルクルスはカラティヌスと共にシケリア(シチリア)でカルタゴ軍と戦った[2]。しかしローマの伝統的な年代記では、パテルクスはサルディニアに派遣され、多くのカルタゴ拠点を攻略し、さらにはカルタゴ本国があるアフリカへの侵攻も計画したが、これは逆風のために実現しなかったとされている。パテルクルスはまたローマ海軍を率いてスルキ沖の海戦でハンニバル・ギスコに勝利、ローマに帰還した後に凱旋式を実施している[3]。
公職 | ||
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先代 ルキウス・コルネリウス・スキピオ ガイウス・アクィッリウス・フロルス |
執政官 同僚:アウルス・アティリウス・カラティヌス 紀元前258年 |
次代 ガイウス・アティリウス・レグルス・セッラヌス グナエウス・コルネリウス・ブラシオ II |