キャムローズ子爵 | |
---|---|
Crest:
A griffin sejant reguardant Sable collared Or. Escutcheon:Argent three bars Gules over all a pile Ermine. Supporters:On either side a wolf Proper gorged with a collar Or pendent therefrom an escutcheon Sable charged with two pens in saltire Argent.
| |
創設時期 | 1941年1月20日 |
創設者 | ジョージ6世 |
貴族 | 連合王国貴族 |
初代 | 初代子爵ウィリアム・ベリー |
現所有者 | 3代子爵ジョナサン・ベリー |
相続人 | ヒューゴ・ベリー閣下 |
付随称号 | キャムローズ男爵 (ハックウッド・パークの)準男爵 |
現況 | 存続 |
モットー | 『善行に生きよ』(Vivere Virtute) |
キャムローズ子爵(英: Viscount Camrose)は、イギリスの子爵、貴族。連合王国貴族爵位。実業家ウィリアム・ベリーが1941年に叙されて以来、ベリー家が保持する。
数々の英大手新聞社を買収した実業家ウィリアム・ベリー(1879-1954)が1921年に連合王国準男爵位の(ハンプシャー州ハックウッド・パークの)準男爵(Baronet, of Hackwood Park, in the County of Hampshire)に叙されたことを発端とする[1][2]。彼は『デイリー・テレグラフ』紙の経営権を得た翌年の1929年には連合王国貴族としてサリー州ロング・クロスのキャムローズ男爵(Baron Camrose, of Long Cross in the County of Surrey)に昇叙した[註釈 1][1][3]。彼はさらに1941年にはサウサンプトン州ハックウッド・パークのキャムローズ子爵(Viscount Camrose, of Hackwood Park in the County of Southampton)に陛爵している[1][4]。
彼ののちは、その息子のジョンが爵位を継承し、2代子爵ジョン(1909-1995)が嗣子なく没すると、爵位は弟のウィリアムの系統に移行することとなった[1]。
その弟ウィリアム・マイケル・ベリー(1911-2001)[註釈 2]は父祖の新聞事業を引き継いで活動したほか、1968年1月19日に一代貴族たるシティ・オブ・オンドンにおけるピーターバラ・コートのハートウェル男爵(Baron Hartwell, of Peterborough Court in the City of London)に叙せられている[1][5]。彼はその最晩年にあたる1995年に兄ジョンの死去に伴って、キャムローズ子爵を継承すると同時に、1963年貴族法に基づいて爵位一代放棄を行った[註釈 3][1][6]。彼が2001年に没すると、ハートウェル男爵は消滅した[1]。
その孫にあたる5代子爵ジョナサン(1970-)が2020年現在のキャムローズ子爵家現当主である[1]。
現当主である第5代キャムローズ子爵ジョナサン・ウィリアム・ベリーは、以下の爵位を有する[1]。
爵位の推定相続人は、現当主の息子であるヒューゴ・ウィリアム・ベリー(2000-)閣下。