グラスゴー派は、19世紀末に、芸術家集団「4人組」を中心としてヨーロッパ各地からスコットランドのグラスゴーに集まった建築家・デザイナー等のグループである。
形骸化したルネッサンス文化に飽き足らず、ロマンチシズムを取り入れた新しい家具を含む工芸・芸術運動を展開した[2]。
芸術家集団「4人組」は、スコットランドの工芸家で建築家のチャールズ・レニー・マッキントッシュ(1868年 - 1928年)、マーガレット・マクドナルド(1865年 - 1933年)、フランシス・マクドナルド(1874年 - 1921年)、ハーバード・マックネア(1868年 - 1955年)によって結成された。マーガレットとフランシスは姉妹である。
マッキントッシュ等4人組は、1896年のアーツ・アンド・クラフツ展に、彼らの家具、ポスター、絵画作品、銀細工の時計、装飾パネルなどを出品する。(マッキントッシュは家具、ポスター、絵画作品、マクドナルド姉妹は銀細工の時計、装飾パネルなどを出品した[3]。)
しかし、展示会主催のメンバーらは、グラスゴー派の幻想的な曲線装飾を「奇妙な装飾の病」として、非難し、それ以後の出品を禁止した。そして、当時の多くの芸術家からも酷評された。しかし、1893年に創刊されたロンドンの美術工芸雑誌「ステュディオ」は、唯一反対の立場をとり、1897年に「4人組」を中心に連載でグラスゴー派の活動を紹介した[3]。この記事の掲載が、同じ年のウィーンの美術家と工芸家によって結成されたウィーン分離派の造形運動に影響を及ぼし、その後の1900年にダルムシュタット芸術家村で開催されたウィーン・ゼツェッション展を通じてマッキントッシュの名が広まった。
「4人組」のメンバーであったマーガレット・マクドナルドとフランシス・マクドナルドを含む女性画家、デザイナーのグループは「グラスゴー・ガールズ」と呼ばれた。主要なメンバーにはジェシー・M・キング、アニー・フレンチ、ヘレン・パクストン・ブラウン、ジェシー・ワイリー・ニューベリー、アン・マクベス、ベッシー・マクニコル、ノラ・ニールソン・グレイ[4]らがいる。
1885年から1920年の「啓蒙の時代」において、グラスゴーで女性芸術家の活動が盛んになったのは、地域の美術学校、グラスゴー美術学校の進歩的な校長であるフランシス・ヘンリー・ニューベリーの影響が大きい、ニューベリーは女性の教師を雇い、刺繍などの女性の工芸のクラスを設けた[5]。美術史で「グラスゴー・ガールズ」という名前がつかわれるのは、1960年代になってからで、スコットランドの美術史家のブキャナン(William Buchanan)がグラスゴーの芸術家の展覧会を紹介するなかで使用したとされる[5][6][7]。
「4人組」の作品が注目されていた1880年代から1890年代に、グラスゴーで学んだり、活動する若い画家たちはフランスで流行した「印象派」や、「ポスト印象派」の影響を受けた作品を描くようになり、「グラスゴー・ボーイズ」と呼ばれることになった。