「コンプリート・コントロール」 | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ザ・クラッシュ の シングル | ||||||||
初出アルバム『白い暴動(米国盤)』 | ||||||||
B面 | 死の街 | |||||||
リリース | ||||||||
規格 | 7インチシングル | |||||||
録音 | 1977年、サーム・イースト・スタジオ(ロンドン) | |||||||
ジャンル | パンク・ロック | |||||||
時間 | ||||||||
レーベル | CBS S CBS 5664 | |||||||
プロデュース | リー・ペリー | |||||||
ザ・クラッシュ シングル 年表 | ||||||||
| ||||||||
|
「コンプリート・コントロール」 (Complete Control) は、ザ・クラッシュがシングルとしてリリースした曲。アメリカ盤『白い暴動』にも収録されている。[1] この曲はしばしばパンクの最も偉大な曲として取り上げられる。前作の「リモート・コントロール」がバンドへの相談無しにリリースされた事への怒りに端を発した、レコード会社やマネージャー、パンクロック自身の情勢への熱い反論となっている。また、当時バンドを支配していたマネージャー —クラッシュのバーニー・ローズ、セックス・ピストルズのマルコム・マクラーレン— に触れており、これはまさにこの曲のタイトルの意味そのものである。
この曲はバンドの警察との対立にも触れる。彼らはファンが無料でギグに入れるよう楽屋のドアや窓を開けておいた。そんなパンクの理想は、バンドが取り込まれつつある企業の現実主義や裏切り、彼らの感じた怒りにより潰されてしまった。この曲を支配するメッセージは次の一節に集約される。
奴らは、俺たちは芸術的に自由だと言った
あの紙切れにサインした時に — 歌詞より
このメッセージは、一部の批評家には「世間知らず」として笑いものにされた。伝説的DJジョン・ピールはその一人で、「CBSは慈善事業をやっているわけじゃ無い」とほのめかした。一方でこの曲に対する支持も以下のようにあった。
ロンドン、ホワイトチャペルのサーム・イースト・スタジオでミッキー・フットを技師とし、リー・ペリーをプロデューサーとして録音された。ペリーは自作でジュニア・マーヴィンのヒット曲「ポリスとこそ泥」をクラッシュがカヴァーしたのを聞き、彼らの写真をジャマイカのブラック・アート・スタジオの壁に描かせた(このような名誉的扱いを受けた白人アーティストは他にいない)人物である。クラッシュは彼がボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズのプロデュースのためロンドンに来ていることを聞き、自分たちのプロデュースに招いた。ペリーはすぐにこれに応じた。
トラッキング・セッションでペリーはシムノンの楽器から深いベースサウンドを取り出すのをあきらめたと、ペリーやクラッシュの伝記は伝えている。しかし、1979年の「ミュージカル・エクスプレス」誌や「ヒット・パレーダー」誌にストラマーとジョーンズが寄せた手記によると、ペリーはジョーンズのギター・プレイを「鉄の拳で演奏されたようだ」と賞賛した。 ペリーの仕事はしかし、和らげられた。バンドは彼らの曲をいじり、ギターを前に出し、エコーを控えめにした。
この曲はまた、テリー・チャイムズに替わるドラマーとしてトッパー・ヒードンが初めてレコーディングに参加した曲である。
伝えられるところではペリーはミキサーのデイヴを「クールなオペレーターの一人」と評した。この曲は全英チャートで28位になり、バンドとして初めて30位以内に入った曲となる。1999年にはCBSがライヴ・ヴァージョンをシングルリリースした。2004年にはローリング・ストーン誌の「最も偉大な500曲」で361位に選ばれている[2][3]。
|