ザ・バーシティマッチ(英: The Varsity Match)は、イングランドのオックスフォード大学とケンブリッジ大学との間で毎年開催されるラグビーユニオンの定期戦である。この催しは1872年に始まり、2度の世界大戦でのみ中断された。1921年からは、トゥイッケナム・スタジアム(ロンドン)でプレーされている。通常は12月初旬にプレーされる。
2019年の138試合目の終了時点で、オックスフォード大学RFCの60勝、ケンブリッジ大学RUFCの64勝、引き分けが14試合となっている[1]。オックスフォードとケンブリッジとの間のバーシティマッチはその他様々なスポーツにおいても行われる。例えば、記録に残る歴史上初の水球の試合は1891年にオックスフォードとケンブリッジとの間でプレーされた。
女子のラグビー・バーシティマッチは1988年に初めてプレーされ、2015年からは男子の試合と同日にトゥイッケナムで開催されている[2]。
ザ・バーシティマッチの歴史は1872年にまで遡る。これは史上初のラグビーの国際試合(スコットランド対イングランド)の一年後であった。ケンブリッジとオックスフォード双方が顔合わせと、試合のために職員を送った。ザ・パークス(オックスフォード)で20人制のゲームをプレーした(現在は1チーム15人制である。フィールド上1チーム15人と規定されのは1875年のこと[3])。オックスフォードが初顔合わせで勝利した。この初試合においてオックスフォードは紺青色のジャージ(今日と同じであるが、一時期は白色を使用した)を着用したが、ケンブリッジはピンク色のジャージー(1876年に青および白に変更)でプレーした[4]。
1873年の2回目のバーシティマッチはパーカーズ・ピース(ケンブリッジ)でプレーされたが、これ以後は常にロンドンでプレーされている。ケニントンにあるジ・オーバルでは7試合、ブラックヒースにあるリチャードソンズ・フィールドでは3試合、レクトリー・フィールドで4合が行われた。1887年から1920年まではケンジントンにあるクイーンズ・クラブが会場として使われた[5]。1921年、試合会場はラグビー・フットボール・ユニオンの有名なホームグラウンドであるトゥイッケナムへ移された。
当初はレフリーはいなかったが、1881年の試合でH. H. Taylorが初めてレフリーを務めた。これ以前は各大学から1人、計2名のアンパイア(仲裁人)がいた[6]。
現在は、テレビジョンマッチオフィシャルもいる[4]。
ユニフォーム製作
ザ・バーシティ・マッチでプレーした多くの選手が国際舞台で活躍した[13]。
ラグビーワールドカップ1987で優勝したオールブラックスのキャプテンを務めたデイヴィッド・カークは、オックスフォードからのローズ奨学制度を受け入れて代表から引退した後の1987年と1988年のザ・バーシティマッチでプレーした。オーストラリア代表としてラグビーワールドカップ1987に出場したブライアン・スミスはオックスフォードの一員として1988年と1989年(キャプテンとして)のバーシティマッチでプレーし、1990–1991年はアイルランド代表としてプレーした[13]。元オーストラリア代表のジョー・ロフはプロラグビーから引退後にオックスフォードの一員として2006年と2007年のバーシティマッチれプレーした。最も著名な選手は、元オールブラックスのフッカーであるアントン・オリバー[16](オックスフォード)と元ワラビーズのロックであるダン・ヴィッカーマン(ケンブリッジ)である。ヴィッカーマンは2009年の試合でケンブリッジのキャプテンを務めた[17]。
結果と情報はバーシティマッチのウェブサイト上で入手可能[18]。
試合数 | ケンブリッジの勝利 | オックスフォードの勝利 | 引き分け |
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141 | 65 | 62 | 14 |
試合数 | ケンブリッジの勝利 | オックスフォードの勝利 | 引き分け |
---|---|---|---|
35 | 13 | 21 | 1 |