| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
![]() | ||||||
名前 | ||||||
本名 | ジェリー・ルーベン・ピーターセン・ルセナ | |||||
ラテン文字 | Jerry Lucena | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
![]() ![]() | |||||
生年月日 | 1980年8月11日(44歳) | |||||
出身地 |
![]() 南デンマーク地域エスビャウ | |||||
身長 | 179cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF/MF(DMF) | |||||
ユース | ||||||
-1999 |
![]() | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1999-2007 |
![]() | 182 | (4) | |||
2007-2012 |
![]() | 147 | (3) | |||
2012-2016 |
![]() | 34 | (0) | |||
通算 | 363 | (7) | ||||
代表歴 | ||||||
2001 |
![]() | 2 | (0) | |||
2006 |
![]() | 2 | (0) | |||
2011-2015 |
![]() | 38 | (2) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ジェリー・ルセナ(Jerry Lucena、1980年8月11日 - )は、フィリピンとデンマークの元サッカー選手。元デンマークU-21代表、元デンマーク・リーグXI、元フィリピン代表。現役時代のポジションはDFあるいはDMF。
エスビャウfBのユースでサッカーを始めた。1999年にデンマーク・ファーストディビジョンに参戦するトップチームに昇格した。2001年には昇格しデンマーク・スーペルリーガに参戦した。2002-03シーズンでは33試合中32試合に出場し、リーグを5位で終え、UEFAカップ予選に参戦した。
2003年8月14日にはUEFAカップ2003-04予選でアンドラのFCサンタ・コロマと対戦、この試合に出場した彼はこの日、初のUEFAの大会を経験した[1]。この試合の5-0の勝利と合わせて2戦合計で9-1のスコアとなり、第1ラウンドへと進出した。
2003-04シーズンではリーグ戦の33試合全てに出場しクラブの3位の成績に貢献した。2006年にはデンマーク・カップの決勝に進出したものの、ラナースFCに敗北し優勝とはならなかった[2]。2007年にエスビャウfBを離れるまでに彼は合計245試合に出場した[3]。
エスビャウfBを離れた彼はデンマークのクラブの中では最古の一つであるオーフスGFに加入した。オーフスGFではフルバックやミッドフィールダーとして主に起用された[4]。2010年にオーフスGFはデンマーク・ファーストディビジョンに降格したものの彼は残留し、2010-11シーズンで同リーグを制覇し昇格に貢献した。
2012年6月には契約を解除し、再びエスビャウfBに移籍した[3]。
フィリピン人の父親とデンマーク人の母親の間に生まれた彼には、デンマーク、フィリピン両国で代表に出場する権利を持っていた。2001年にはデンマークU-21代表として試合に出場した[5]。2006年にはデンマーク・リーグXIとしてリーグ選抜の代表戦に出場した。
2011年3月にはフィリピン代表となった。23日にAFCチャレンジカップ2012予選のパレスチナ代表戦にフィリピン代表として初出場した[6]。この試合は0-0のスコアレスドローに終わったが、フィリピン代表は本大会への出場を決めた[7]。10月11日にはネパール代表との親善試合に出場し、この試合は4-0でフィリピンが勝利した[8]。
2012年11月には2012 AFFスズキカップに挑む代表の一員となった。グループステージを2勝1敗の2位で突破し、準決勝でシンガポール代表と対戦した。この大会で彼はグループステージのタイ代表に2-1で敗北した一戦と、ベトナム代表に0-1で勝利した一戦にディフェンダーとして出場、準決勝のシンガポール代表との2戦目ではミッドフィールダーとして出場した。
# | 日附 | 場所 | 対戦相手 | 得点 | 結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1. | 2014年5月27日 | ![]() |
![]() |
2–1 |
3–2 |
AFCチャレンジカップ2014 |
2. | 2015年9月3日 | ![]() |
![]() |
2–0 |
2–0 |
親善試合 |