ジャスティン・デレック・ベル(Justin Derek Bell、1968年2月23日 -)は、イギリスのレーシングドライバー。父親はF1に参戦経験のあるデレック・ベル。
ル・マン24時間レースやFIA GT選手権で活躍。1991年から2000年まで9回出場し、クラス優勝も果たしている[1]。
また日本でもレース活動しており、1994年の全日本ツーリングカー選手権最終戦で来日し、翌年にはHKSからオペル・ベクトラでフル参戦していた。
年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回 | 総合順位 | クラス順位 |
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1991 | ユーロレーシング | 粕谷俊二 | スパイス・SE88P | C2 | - | DNQ | DNQ |
1992 | ADAエンジニアリング | ティフ・ニーデル デレック・ベル |
ポルシェ・962C GTi | C3 | 284 | 12位 | 5位 |
1994 | レンタカーレーシングチーム ルイージ・レーシング |
ルネ・アルヌー ベルトラン・バラス |
ダッジ・バイパー RT/10 | LM GT1 | 273 | 12位 | 3位 |
1995 | ハロッズ マック・ワン・レーシング デビッド・プライス・レーシング |
アンディ・ウォレス デレック・ベル |
マクラーレン・F1 GTR | GT1 | 296 | 3位 | 2位 |
1996 | バイパー チーム オレカ | ドミニク・デュプイ ペリー・マッカーシー |
ダッジ・バイパー GTS-R | GT1 | 96 | DNF | DNF |
1997 | ピエール・イベール ジョン・モートン |
GT2 | 278 | 14位 | 5位 | ||
1998 | デイビッド・ダナヒュー ルカ・ディルディ |
GT2 | 317 | 11位 | 1位 | ||
1999 | トミー・アーチャー マルク・デュエツ |
GT2 | 318 | 12位 | 2位 | ||
2000 | コルベット・レーシング | ロン・フェローズ クリス・クナイフェル |
シボレー・コルベット C5R | LM GTS | 326 | 11位 | 4位 |
年 | チーム | 使用車両 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 順位 | ポイント |
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1994 | Motorola Pagers Racing | BMW・318i | OAR1 | OAR2 | SUG1 | SUG2 | TOK1 | TOK2 | SUZ1 | SUZ2 | MIN1 | MIN2 | TAI1 | TAI2 | TSU1 | TSU2 | SEN1 | SEN2 | FSW1 20 |
FSW2 Ret |
NC | 0 |
1995 | HKSオペルチームジャパン | オペル・ベクトラ | FSW1 NC |
FSW2 Ret |
SUG1 14 |
SUG2 7 |
TOK1 15 |
TOK2 14 |
SUZ1 10 |
SUZ2 Ret |
MIN1 18 |
MIN2 16 |
TAI1 7 |
TAI2 6 |
SEN1 5 |
SEN2 4 |
FSW1 7 |
FSW2 10 |
11位 | 32 |