ジョナサン・ヅァクワー(Jonathan Tzachor、ジョナサン・ザクワー、ジョナサン・ザコアとの表記もある。)は、アメリカ合衆国のテレビプロデューサー、映画プロデューサー、演出家。イスラエル出身[1][2]。
イスラエル空軍勤務を経てアメリカ合衆国に移住し、プロデューサーとしての活動を開始する[1]。
日本のスーパー戦隊シリーズをアメリカ合衆国でローカライズした『パワーレンジャー・シリーズ』では、1992年の『マイティ・モーフィン・パワーレンジャー』パイロット版からプロデューサーを務め[1]、1998年の『パワーレンジャー・イン・スペース』からは製作の責任者となり[3]、2002年のパワーレンジャー・ワイルドフォースまでプロデューサーを務めた後、2011年の『パワーレンジャー・サムライ』からは製作総指揮として復帰している[3]。また、一部のエピソードでは監督として演出を担当している[1]。
ヅァクワーは原作となるスーパー戦隊シリーズへのリスペクトが強く、パワーレンジャーシリーズのクオリティ向上のため、日本から東映の監督を招聘した[2]。イスラエル出身であることから、外国文化に対する理解があり、日本人監督やスタントマンを起用することが出来たと言う[2]。
坂本浩一は「ジョナサン・ヅァクワーの功績はとても大きい」と述べており[3]、「アメリカにスーパー戦隊魂を伝えた一番の功労者」としている[2]。サバン・ブランドの役員であったブライアン・カセンティーニはヅァクワーはスーパー戦隊シリーズに忠実なストーリー構成を好んでいたと述べている[4]。
小林靖子の脚本を好んでおり、『パワーレンジャー・タイムフォース』、『パワーレンジャー・サムライ』などは原作の小林の脚本に忠実な番組作りを行っている[5][2]。
特記の無いものに限り、プロデューサーとしての参加。