ジョン・ケイシー (英: John Casey、 (1820-05-12) 1820年5月12日 – 1891年1月3日(1891-01-03)
)は、アイルランドの幾何学者。Caseyはケーシー、ケージー、ケイジーとも。主にケイシーの定理の功績で知られる。また、ユークリッド幾何学に斬新な証明と観点を与えて貢献した。ケイシーとエミール・ルモワーヌは円と三角形の近世幾何学の共同創設者とされる[1]。
リムリック県のキルベエニー(英語版)で生まれ、地元のミッチェルタウン(英語版)で教育を受けた。国家教育委員会に属する教師になって、キルケニーの中央モデルスクールの校長に就任した。その後の1858年、ダブリン大学のトリニティ・カレッジに入学し、1861年に奨学生(英語版) に選出された。1862年、B.A.を取得して卒業した。1862年から1873年の間はキングストン・スクール(Kingston School)で数学の修士の道に進んだ。1873-1881年は新設されたアリルランド・カトリック大学(英語版)の高等数学と数物理学の教授を、1881-1891年の間は後続校のダブリン大学ユニバーシティ・カレッジ数学講師を務めた[2]。
1869年、ダブリン大学はケイシーに法学の博士の名誉学位を授与した。1875年6月には王立協会フェローに選出された[3]。 1880年王立アイルランド学会(英語版)の議会員になった。1878年、アカデミーはケイシーにカニングハム金メダル(英語版)を授与した[4]。ケイシーの功績はノルウェー政府などにも認知された。1884年、フランス数学会メンバーに選ばれ、1885年王立アイルランド大学(英語版)より、法学の博士の名誉学位を与えられた。
- 1880: On Cubic Transformations
- 1881: On Cyclides and Sphero-quartics, Internet Archive
- 1882: The First Six Books of the Elements of Euclid, Project Gutenberg
- 1885: A Treatise on the Analytic Geometry of the Point, Line, Circle and Conic Sections, Second edition, 1893, Internet Archive
- 1886 A Sequel to the First Six Books of Euclid, 4th edition, Internet Archive
- 1886: A Treatise on Elementary Trigonometry (Dublin, 1886)
- 1888: A Treatise on Plane Trigonometry containing an account of the Hyperbolic Functions
- 1889: A Treatise on Spherical Geometry, Internet Archive
- ^ In tribute to John Casey, founder of modern geometry The Irish Times, May 12, 2020
- ^ John Casey: a Founder of Modern Geometry ThatsMaths, May 7, 2020 Irish Times
- ^ O'Connor, John J.; Robertson, Edmund F., “John Casey”, MacTutor History of Mathematics archive, University of St Andrews, https://mathshistory.st-andrews.ac.uk/Biographies/Casey/ .
- ^ “Proceedings of the Royal Irish Academy, 1878”. 10 December 2014閲覧。
- Irish Monthly (1891), XIX, 106, 152
- Proc. Royal Society (1891), XLIX, 30, p. xxiv.