ジョン・ダグラス・モンタギュー・ダグラス・スコット卿(英語: Lord John Douglas Montagu Douglas Scott、1809年7月13日 – 1860年1月3日)は、イギリスの政治家。1835年から1837年まで庶民院議員を務めた。
第4代バクルー公爵チャールズ・モンタギュー=スコットと妻ハリエット・キャサリン(Harriet Katherine、旧姓タウンゼンド(Townshend)、1814年8月24日没、初代シドニー子爵トマス・タウンゼンドの娘)の三男として、1809年7月13日にダルキース・ハウスで生まれた[1]。
少尉としてグレナディアガーズに入隊した後、1831年2月8日にLieutenant and Captainへの昇進を購入した[2]。
1832年イギリス総選挙でトーリー党候補としてロクスバラシャー選挙区から出馬したが、得票数2位(532票)でホイッグ党候補のジョージ・エリオット(624票)に敗れた[3]。1835年イギリス総選挙ではトーリー党の後継政党である保守党候補として出馬、今度は757票でエリオット(681票)を破った[3]。1837年イギリス総選挙で出馬せず、議員を退任した[3]。
1860年1月3日にラグビーにあるコーストン・ロッジ(Cawston Lodge)で死去した[1]。
ラグビー近くのダンチャーチではスコットの像があり、少なくとも1980年代以降のクリスマスでは毎年のようにいたずらされ、ハリー・ポッター、スパイダーマン、バート・シンプソンなどのキャラクターに着飾られた[4]。
1836年3月16日、アリシア・アン・スポッティスウッド(1810年6月24日 – 1900年3月12日、ジョン・スポッティスウッドの娘)と結婚したが、2人の間に子供はいなかった[5]。私生活では釣り、スポーツハンティング、ヨットを好み、妻と趣味が合ったという[5]。
地主としては模範的だったと評された[4]。
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会 | ||
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先代 ジョージ・エリオット |
庶民院議員(ロクスバラシャー選挙区選出) 1835年 – 1837年 |
次代 ジョン・エドマンド・エリオット閣下 |