ジョン・フレンチ John French | |
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ジョン・フレンチ(2015年) | |
基本情報 | |
出生名 |
ジョン・ステファン・フレンチ John Stephen French |
別名 | ドラムボ(Drumbo) |
生誕 | 1948年9月29日(76歳) |
職業 |
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担当楽器 | |
活動期間 | 1965年 - 2017年 |
共同作業者 |
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ジョン・フレンチ(John French、1948年9月29日 - )は、アメリカ合衆国のロック・ミュージシャン。キャプテン・ビーフハートことドン・ヴァン・ヴリートが率いたキャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドのドラマーだった。
フレンチは1948年9月29日、南カリフォルニアのサンバーナーディーノ地域で生まれ[1]、1954年に両親に連れられてアンテロープ・バレーに移住した[2]。1960年代前半にはメレル・ファンクハウザー(ボーカル、ギター)が率いるメレル・アンド・ジ・エグザイルスで活動した[3]。
1965年4月、ロサンゼルスのハリウッド・パラディアムで催された第4回ハリウッド・ティーンエイジ・フェアーでヴァン・ヴリートに出会い[4]、1966年末に誘われて[5]、デビュー・アルバムを制作する前のキャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンドに18歳でドラマーとして加入した[6]。1969年からはヴァン・ヴリートの方針[注釈 1]に従って、「ドラムボ(Drumbo)」のステージ名で活動した。
1972年にキャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンド[注釈 2]を脱退。1974年、キャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドのヴァン・ヴリート以外のメンバー達が脱退して結成したマラードに加わり新曲の作曲とリハーサルに参加したが、アルバム制作の前に離脱した[注釈 3]。
1975年、解散状態を経て活動再開したキャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドに参加して、ドラムとギターを担当した。またも脱退と再加入を繰り返した後、1980年の『美は乱調にあり』を最後にヴァン・ヴリートと袂を分かった。
1987年にギタリストのフレッド・フリス(ヘンリー・カウ)、ヘンリー・カイザー、リチャード・トンプソン(フェアポート・コンヴェンション)とフレンチ、フリス、カイザー、トンプソンを結成して[7]、アルバム『Live, Love, Larf & Loaf』(1987年)と『インヴィジブル・ミーンズ』(1990年)を発表。また、カイザーとクレイジー・バックワーズ・アルファベットを結成して、アルバム『Crazy Backwards Alphabet』(1987年)を発表。
1994年と1998年にソロ・アルバムを発表。
2003年、キャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドのメンバーだったマーク・ボストン(ベース・ギター)、デニー・ウォーリー(ギター)、ゲイリー・ルーカス(ギター)、ロバート・ウィリアムス(ドラムス)とザ・マジック・バンドを結成して、ボーカル、ドラムス、ハーモニカを担当した。ザ・マジック・バンドはフレンチを中心に、2017年までメンバー・チェンジを行ないながら、公演や録音でキャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドの楽曲を披露した。
2008年、ドラムボ名義のソロ・アルバム『City of Refugee』[8]を発表。
2010年、著書『Beefheart: Through the Eyes of Magic』を上梓。
キャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンド名義とキャプテン・ビーフハート名義[注釈 4]のアルバムも含む。