スカイ・ハイ・リー | |
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プロフィール | |
リングネーム |
スカイ・ハイ・リー ボブ・リー ロバート・E・リー |
本名 | ロバート・ヘイズ・リーディー |
ニックネーム | 人間魔天楼 |
身長 | 203cm[1] - 206cm[2] |
体重 | 135kg[1] - 140kg[3] |
誕生日 | 1910年2月3日[1][4] |
死亡日 | 1974年5月31日(64歳没)[1][4] |
出身地 |
![]() オンタリオ州トロント[1] |
スポーツ歴 | ボクシング[4] |
スカイ・ハイ・リー(Ski Hi Lee、本名:Robert Hayes Leedy[1]、1910年2月3日 - 1974年5月31日[1][4])は、カナダのプロレスラー。オンタリオ州トロント出身。生年は1921年[2]など諸説ある。
1950年代を中心に、人間離れした異相と巨体を持つ怪奇派のモンスター・ヒールとして活動した[3]。ウイスキーのグラスを噛み砕き、畳針を体に突き刺すなどの奇行パフォーマンスでも知られる[5]。
サーカスやボクシングのキャリアを経て、1940年代中盤にプロレスラーとしてデビュー[4]。1951年2月26日、アルバータ州エドモントンにてアル・ミルズを破り、カルガリー版のNWAカナディアン・ヘビー級王座を獲得[6]。翌1952年1月10日にはアメリカ合衆国のオハイオ州トレドにて、ルー・テーズのNWA世界ヘビー級王座に挑戦している[7]。
以降も1950年代はカナダを主戦場に活動を続け、フリッツ・フォン・エリック、ホイッパー・ビリー・ワトソン、キラー・コワルスキー、ベアキャット・ライト、ジョージ・ゴーディエンコ、パット・オコーナー、バーン・ガニア、ベン&マイク・シャープなどの強豪と対戦[8]。バンクーバーでは1955年にテキサス・マッケンジーとの巨人レスラー同士の抗争を展開した[9]。
1958年7月、ハワイのホノルルで力道山と対戦[10]。9月には日本プロレスに初来日、ドン・レオ・ジョナサンと大型タッグチームを結成して、蔵前国技館での力道山とのシングルマッチも行われた[11]。来日時は『三菱ダイヤモンド・アワー プロレスリング中継』の放送開始時期であり、番組のプロモーションとして、ジョナサンと共にオープンカーでのパレードにも参加している[12]。
1960年代よりヨーロッパに渡り、1961年から1962年にかけてはドイツにて若手時代のビル・ロビンソンやホースト・ホフマン、1965年にはイギリスでアル・ヘイズと対戦した[13]。
1968年6月、当時ヨーロッパを外国人選手の招聘ルートとしていた国際プロレスに参戦[14]。10年ぶりの再来日を果たす。とうに全盛期を過ぎ、体も痩せ細っていたものの[15]、ジ・アウトローことゴードン・ネルソンと組んで豊登&サンダー杉山のTWWA世界タッグ王座に挑戦した[13]。
1974年5月31日[1][4]、ロンドンで死去[16]。全盛時はトロントで観光用の牧場やレストランを経営していたが[2][4]、試合前にも控室でウイスキーをガブ飲みするなどの酒びたりの生活だったため[15]、後年はアルコール依存症が悪化し、引退後は酒場の用心棒をしていたともされる[5]。