スターログ | |
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STARLOG | |
ジャンル | SF映画 |
刊行頻度 | 月刊 |
発売国 | アメリカ合衆国 |
言語 | 英語 |
出版社 | Starlog Group Inc. → Creative Media, Inc. → The Brooklyn Company, Inc. |
編集長 | David McDonnell |
刊行期間 | 1976年8月 - 2009年4月 |
姉妹誌 | ファンゴリア(Fangoria) |
『スターログ』(Starlog)は、スターログ・グループにより発行されたアメリカの月刊SF映画雑誌。編集者のケリー・オクィンとノーマン・ジェイコブズにより製作された。オクィンが編集を担当し、ジェイコブズが製版、印刷、出版などの経営面を担当していた。ソープオペラ誌の製作から始まった。1970年代半ば、オクィンと高校の友人であったデビッド・ヒューストンはSFに関連する映画やテレビの雑誌を作成することを話し合っていた。
公式Webサイトである「Starlog.com」は2008年12月に停止した。2009年3月には雑誌『ファンゴリア』公式サイトの姉妹サイトとして新URLとなった。2009年5月に375号で出版が停止した。ドメイン名が元のStarlog.comに戻った後、2009年4月7日よりWebサイトが新規に稼動し始めた。4月8日には、近い将来に紙での発行は停止し、電子版のみになるとアナウンスされた。しかし、印刷版の再開を計画していることも示された[1]。
オクィンは『スタートレック』の雑誌を1号だけ発行することを考えた。ヒューストンの編集助手だったキルスティン・ラッセルは、全3シーズン分のエピソードガイドと、俳優へのインタビュー、それに未発表の写真を含めるよう提案した。この会議中に多くの質疑がなされ、中でも一番の問題は法律的なものだった。ヒューストンは雑誌のインタビューのため、『スタートレック』の創作者であるジーン・ロッデンベリーに連絡を取った。一旦は許可を得て、オクィンやジェイコブズも雑誌製作を開始したが、『スタートレック』の権利を所有していたパラマウントスタジオは著作権使用料の最低保証支払い(ミニマム・ギャランティ)を要求し、その費用は高すぎるものであったためこのプロジェクトは棚上げとなった。
この『スタートレック』雑誌の製作経験により、オクィンは著作権使用料の問題さえ回避できればよいということを理解した。そして、これこそがヒューストンとの間で話しあったSF雑誌なのかもしれないということもまた判った。誌名として "Starlog" が選ばれるまでに "Fantastic Films" や "Starflight" 等がタイトルとして検討された。
経費を抑えるため、1976年8月の創刊号は季刊誌として発行された。この創刊号は完売したため、オクィンとジェイコブズは季刊ではなく6週に1冊ずつ発行を行った。ヒューストンが最初の編集者となり、ヒューストンがハリウッドビューローに移ると、オクィンはこれを1年間引き継ぎ、次にハワード・ジンマーマンがこれに代わった。ジンマーマンの次にはデビッド・マクダネルが後任になり、未だにWebマガジンの編集者である。
1985年11月には節目となる創刊100号を迎え、SFで最も重要な100人を特集した。このインタビューには映画監督のジョン・カーペンター、ピーター・カッシング、ジョージ・ルーカス、作家のハーラン・エリスン、俳優のレナード・ニモイやプロデューサーのジーン・ロッデンベリーが含まれている。
創刊200号は100号と同様の特集が組まれ、作家のアーサー・C・クラーク、ウィリアム・ギブソン、映画監督のティム・バートン、テリー・ギリアム、プロデューサーのゲイル・アン・ハードなど創作者として有名な人々がインタビューされた。
『スターログ』は映画『スター・ウォーズ』について最初に報じた出版物のうちの一つであり、それは映画『スタートレック』の製作にまでつながるものであった。SF映画、テレビシリーズ、書籍に情熱が傾けられていた。多くの読者は、1980年代のわずかな期間が絶頂期だったと考えており、後年は長年の寄稿者の多くが他へ流れていった。しかし、その後も依然として映画史家ウィル・マレーやトム・ウィーバーなど、このジャンルの一流ジャーナリストを抱えていた。この種の刊行物で最も長く続き、最も人気がある雑誌であった。
2006年には30周年記念号が発行された。
2007年12月5日水曜日午前11時頃、イリノイ州オレゴンにある『スターログ』と『ファンゴリア』のバックナンバーを含むKable Newsの倉庫が全焼した。
オクィンとジェイコブズは『スターログ』以外にも、科学とSFが混合した雑誌 "Future Life" や "Comics Scene"、"Cinemagic"、ホラー映画雑誌の『ファンゴリア』(Fangoria)など何十もの雑誌を発行した。過去30年間にわたり『スターログ』は本、ビデオ、SFコンベンション、謎本などを生み出してきた。 また、日本やドイツ、フランス、イギリス、ブラジル、オーストラリアの各国版も出版された。
2001年に雑誌業界全体が不況に陥った際に、スターログ・グループはCreative Group Inc.により買収され、『スターログ』と『ファンゴリア』を発行し続けるとともに、インターネット、衛星ラジオ、ビデオ、およびテレビにフランチャイズを広げた。
Creative Mediaは2008年3月、破産を申請し[2]、2008年6月にはScorpion Capital Partners LPへ資産を売却した[3]。『スターログ』や『ファンゴリア』を含む全てが翌7月にThe Brooklyn Company, Inc.に買収された。トーマス・デフェオが社長を務めるこの会社が、現在のところ[いつ?]『ファンゴリア』と『スターログ』の両雑誌の出版者である。
2002年には各年のベスト SF 映画を選出した。これらを以下に示す。
『スターログ日本版』は、1978年8月に鶴本正三が主宰するツルモトルームより隔月で刊行が開始され、5号で月刊化された。1987年2月に100号で休刊した。その後、1999年6月に竹書房が発売元となり、『バンブームック』として季刊で発行された。2006年春季号である28号で休刊となった。
編集長として中尾重晴がいた[4]。副編集長として高橋良平がいた[5]。
日本版独自の企画としては「帝国通信」「螢雪ジェダイ」があった。
本誌と提携したSF専門店「スターログSHOP」が1980年にできた。東京のラフォーレ原宿と大阪の阪急ファイブ内にあり、直輸入のSFグッズを販売していた。