セルマ・バイラミ(Selma Bajrami) | |
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生誕 | 1980年7月4日(44歳) |
出身地 |
ボスニア・ヘルツェゴビナ ユーゴスラビア社会主義連邦共和国、ボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国、トゥズラ(現ボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国) |
ジャンル | ポップ・フォーク |
職業 | 歌手 |
レーベル | Time studio、グランド・プロダクション、シティ・レコーズ |
セルマ・バイラミ(ボスニア語: Selma Bajrami)は、1980年7月4日生まれ、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国、ボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国、トゥズラ(現ボスニア・ヘルツェゴヴィナ)出身で、民族的ボシュニャク人のポップ・フォーク歌手。 ヒット曲「Kakvo tijelo Selma ima(なんと素晴らしいセルマの体)」などで知られる。
父親のFadilはコソヴォ出身の民族的アルバニア人で、1965年からボスニア・ヘルツェゴヴィナに住んでいたという。一方、母親のEnesaはトゥズラ在住のボシュニャク人であった(Bairami姓はアルバニア系の姓である)。
最初のアルバム『Kad suza ne bude』はセルビアのベオグラードでミリッチ・ヴカシノシッチ(Milić Vukašinović)によって製作された。「Život liječi rane」や「Pijanica」などのヒット曲を含む2枚目のアルバム『Ljubav si ubio gade』はミチャ・ニコリッチ(Mića Nikolić)によって製作された。 2001年にリリースされた3枚目のアルバム『Revolucija』の後、一時セルマは音楽シーンから去るが、2003年には従来までと大きく毛色を変え、デヤン・アバディッチ(Dejan Abadić)をプロデューサに迎えた4枚目のアルバム『Žena sa Balkana』によってシーンに復帰した。このアルバムから生まれた多くのヒット曲 - 「Nano」、「Škorpija」、「Žena sirena」、「Bićeš moj」 - によってセルマの名は知名度を増し、「Žena sirena」という曲名はセルマ自身の新しいニックネームとなった。彼女自身、このニックネームをとても誇りに思っているという。
2005年にリリースされた通算5枚目のアルバム『Kakvo tijelo Selma ima』には製作陣にドラガン・ブラヨヴィッチ(Dragan Brajović Braja)、ドラギシャ・バシャ(Dragiša Baša)、ナニン(Nanin)らを迎え、また「Ljubavi jedina」はセルマ自身によって作詞されている。このアルバムは前作に引き続きデヤン・アバディッチの指揮のもと製作された2枚目のアルバムである[1]。
2007年には、通算6枚目となるアルバム『Ostrvo tuge』をリリース。「Promijeni se」、「Lijepe žene」「Ostrvo tuge」などのヒット曲を生み出した。