チン民族軍 | |
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ချင်းအမျိုးသားတပ်မတော် | |
軍旗 | |
指導者 |
Brigadier Ngun Hlei Thang(参謀長) Colonel Pan Tui(副参謀長) |
活動期間 | 1988年3月20日 | –
本部 | キャンプ・ヴィクトリア(Camp Victoria)[1] |
活動地域 |
チンランド (チン州と同じ領域) |
主義 |
チン民族主義 フェデラル連邦主義 |
規模 |
1,500 10,000+(予備役)(2024)[2] |
上部組織 | チン民族戦線 |
関連勢力 | |
敵対勢力 |
国軍勢力 非国家勢力 |
戦闘と戦争 |
チン民族軍(チンみんぞくぐん、ビルマ語: ချင်းအမျိုးသားတပ်မတော်、英語: Chin National Army、略称CNA)は、ミャンマー西部のチン州を中心に活動するチン族系少数民族武装勢力である。チン民族戦線(CNF)の軍事部門であり、1988年3月20日の同組織発足時に成立した。2012年1月6日、ミャンマー政府と停戦合意した[2]。2021年のクーデター後は多数の民主派民間人を訓練し、また軍との戦闘を再開した[1]。
1988年、ヤンゴンで大規模なデモ(8888民主化運動)が発生すると、政府は高校と大学を閉鎖し、少数民族の学生たちを故郷に戻した。しかし、故郷に戻った学生たちは、率先してデモ隊を組織。チン州でも、帰郷したチン族の学生たちがデモ隊を組織し、学生リーダーが逮捕されると、住民が警察署を取り囲んで釈放させたり、デモ隊が官公庁を占拠したりと盛り上がりを見せたが、結局、政府が軍隊を差し向けたことによりデモは鎮圧された[4]。
しかし一部のチン族の民族指導者と学生たちは、当局の弾圧を避けてインドのミゾラム州に逃れ、その地でチン民族戦線(CNF)/チン民族軍(CNA)を結成。さらに少数民族武装勢力の連帯組織・民族民主戦線(National Democratic Front:NDF)や少数民族武装勢力と1988年民主化運動の学生組織の連帯組織・ビルマ民主同盟(Democratic Alliance of Burma:DAB)にも参加した[4](ミャンマー内戦#過去の少数民族武装勢力の同盟)。彼らはインドの諜報機関である調査分析局に協力する見返りとして援助を受け、2005年まではミゾラム州南部に基地を保有していた[5]。
しかし結成当初からファラム県出身のチン族とハカ県出身のチン族との間に確執があり、ファラム・チン族のメンバーの脱退が相次いだ。脱退したファラム・チン族のメンバーはチン統合軍(CIA)、チン解放評議会(CLC)、チン民族連合(CNC)、チン民族同盟(CNC)などの政治組織を結成したが、現在はほとんど活動していない[4]。
以上のような経緯より、CNFは勢力を拡大できず、200人程度と小規模な組織で[6]、兵器の大半が木製という弱勢力に留まり、国軍への抵抗も小規模で散発的で、特にファラム県の住民からの支持を得られなかった。2012年1月6日には政府と停戦合意を結び、2015年10月15日に結ばれた全国停戦合意にも名を連ねた。この際、停戦合意に署名するためには相応の戦力を持っていなかればならないと考えた政府から、基地設置用の土地を与えられている[5]。
同団体は2021年のクーデター後のチン州においての初期の戦闘には積極的に参加していない。これらの戦いはなどを使用するチンランド防衛隊などの元民間人の結成した団体が主導し[7]、伝統的な狩猟銃による射撃のためミャンマー軍は百人超もの犠牲者を出した[8]。ただし、チン民族軍は2月20日にはミャンマーの他の武装組織と共同で軍を非難し、同年4月以前から希望者に軍事訓練を行っていた[1]。
このような中で同年5月28日、同団体は少数民族の武装組織としては初となる、民主派の結成した国民統一政府への同盟を宣言した[9]。ミャンマーを専門とする著名なジャーナリストであるバーティル・リントナーは、同団体は状況の変化に置いて行かれるのを恐れたのではないかと推測した[5]。同年9月には、同団体の政治部門は「10,000人ほどの」元民間人に軍事訓練を行い、またチンランド防衛隊や国民防衛隊に装備やアドバイスを提供したと述べた[10]。
その後同団体は州内各地でこれらの元民間人中心と連合して戦い、ミャンマー軍は多数の犠牲を出した。激戦地となり軍による放火で破壊されたチン州の都市タントランをめぐっては2023年10月現在までに100回超の戦いが行われ、同市における軍の拠点は前線基地一つのみとなっている[11]。この連合は2023年4月には同州の都市ハカに向かうミャンマー軍の車列を壊滅させる[12]など、軍の道路を利用した物資の輸送を困難にしている。同州における民主派武装組織の連合体であるチンランド共同防衛委員会は、同州において民主派と比べ軍が不釣り合いに多くの犠牲を出していると主張した上で、原因を現地の地勢への不慣れさと士気の欠如に求めた[13]。
一方、チン民族軍などの民主派武装勢力は州内の広い地域を支配するようになった。2022年3月、同団体の報道官は民主派のメディアであるイラワジのインタビューにおいてチン州の民主派武装組織はチン州の4分の3を支配し、軍の支配下にあるのは主に都市部と道路にとどまっていると述べた[14]。
2022年10月の三兄弟同盟による大規模な1027作戦の開始後は一部の都市への攻撃を行い、同年11月にはインドとの国境にある都市リー及び人口3000人の都市ライレンピを占拠した[15]。
2023年12月末、チン民族軍を含むチン州の民主派武装組織は軍の支配する州政府に代わる統治機構としてチンランド評議会を樹立した。同州の民主派武装組織の8割超は同評議会への参加を表明したが、一部の団体はチン民族軍が主導権を握り横柄にふるまっていると感じ参加を見送り、独自の団体を結成した[16]。
同団体は軍だけでなくインドを中心に活動するゾミ革命軍との戦闘も行っている。現地住民は、ゾミ革命軍を同州北部の国民防衛隊に攻撃を加えたとして非難している[17]。