ティニエブラス | |
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プロフィール | |
リングネーム |
ティニエブラス[1] ティニエブラス・シニア エル・レオン・ティニエブラス< |
本名 | Manuel Leal Navarro |
ニックネーム | 暗黒仮面[2] |
身長 | 187cm - 191cm |
体重 | 109kg(全盛時) |
誕生日 | 1939年6月8日(85歳) |
出身地 | メキシコシティ |
トレーナー |
ディック・メドラーノ ラファエル・サラマンカ |
デビュー | 1971年8月20日 |
ティニエブラス(Tinieblas、本名:Manuel Leal Navarro、1939年6月8日 - )は、メキシコの覆面レスラー。メキシコシティ出身。
"Tinieblas" とはスペイン語で "Darkness" を意味し[3]、その名の通り、顔の全面が黒いメッシュで覆われた覆面を被って活躍[4]。日本では「暗黒仮面」なる異名が付けられた[2]。実子はティニエブラス・ジュニア[1]。
レスリングやボディビル、スタントマンを経験したのち、メキシコのルチャ漫画のキャラクター[3]をそのままギミックに取り入れ、1971年8月20日にデビュー(プロレスラーとしてのデビュー年は諸説あり、1965年または1966年ともされる[2])。
メキシコのマット界では異色の大型選手で、1974年9月にエル・レオン・ティニエブラス(El León Tinieblas)のリングネームで新日本プロレスに初来日した際も、アントニオ猪木や坂口征二とシングルマッチを行っている[5]。来日時は、外国人選手のエース格だったニコリ・ボルコフのタッグパートナーにも起用された[5]。
1975年にEMLLからUWA / LLIに移籍[2]。本国メキシコではタイトル戦線に絡むことのない別格扱いのスターだったが、1978年にグアテマラにて世界ジュニアヘビー級王座を獲得した[2]。一時プロレスを廃業し、俳優として映画界で活動していた時期もあったが、後に復帰。
1987年1月31日にはアメリカのロサンゼルスにてWWA世界ヘビー級王座を獲得、8月にスペル・ハルコンに敗れるまでタイトルを保持した[6]。同年10月25日にはカネックの持つUWA世界ヘビー級王座に挑戦したが奪取には至らず[7]、メキシコ国内でのタイトル戴冠は果たせなかった。
1991年10月、W★INGプロモーションに息子のティニエブラス・ジュニアと共に来日[8]。翌1992年5月にはロサンゼルスで行われたFMWの興行に出場した[9]。
1992年からはAAAを活動の拠点とし、2000年代からはIWRGなどのインディー団体に参戦した[10]。
マスコット(ミニ・エストレージャ)にアルーシェ(ケモニート)を連れていた。