カテゴリー | F1 | ||||||||
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コンストラクター | ティレル・レーシング・オーガニゼーション | ||||||||
デザイナー | デレック・ガードナー | ||||||||
先代 | ティレル・004 | ||||||||
後継 | ティレル・006 | ||||||||
主要諸元 | |||||||||
シャシー | アルミニウム製モノコック | ||||||||
サスペンション(前) | ダブルウィッシュボーン 不等長, ショックアブソーバー | ||||||||
サスペンション(後) | アッパーアーム, タイロッド, ショックアブソーバー | ||||||||
エンジン | フォード-コスワース DFV 3000cc V8 NA, | ||||||||
トランスミッション | ヒューランド FG 400 5速 シーケンシャル MT ZF | ||||||||
重量 | 560 kg (1,230 lb) | ||||||||
燃料 | エルフ | ||||||||
タイヤ | グッドイヤー | ||||||||
主要成績 | |||||||||
チーム | エルフ・チーム・ティレル | ||||||||
ドライバー |
ジャッキー・スチュワート フランソワ・セベール, パトリック・デパイユ クリス・エイモン | ||||||||
ドライバーズタイトル | 1 (1971年 ジャッキー・スチュワート) | ||||||||
初戦 | オーストリアGP | ||||||||
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ティレル・005 (Tyrrell 005) は、ティレルがF1世界選手権用に製作したフォーミュラ1カー。デザイナーはデレック・ガードナー。1972年終盤から1974年序盤まで使用された。
ジャッキー・スチュワートが1972年の終盤4戦でドライブした。シャシーは1台しか製作されなかった[1]。ガードナーはスチュワートのスタイルと能力に合わせて94.05 in (238.9 cm)の特に短いホイールベースで設計した[2]。
005のデビュー戦は1972年オーストリアグランプリで、スチュワートは7位に入った[3]。イタリアグランプリではクラッチのトラブルが生じ、スチュワートはリタイアとなった[4]。第11戦カナダグランプリでは優勝を遂げる[5]。続くアメリカグランプリも優勝し、2連勝となった[6]。
1973年シーズン、スチュワートは開幕2戦を005で戦った。アルゼンチングランプリで3位となり[7]、ブラジルグランプリでは2位に入る[8]。フランソワ・セベールは第3戦南アフリカグランプリで005をドライブしたが、非完走扱いとなった[9]。クリス・エイモンはカナダグランプリでドライブ、10位に入った[10]。エイモンは最終戦アメリカグランプリでもドライブする予定であったが、セベールが予選で事故死し、チームはレースから撤退した[11]。
1974年、005は序盤3戦でパトリック・デパイユによって使用された。開幕戦アルゼンチングランプリでデパイユは6位となる[12]。第2戦ブラジルでは8位[13]、005の最終戦となった南アフリカでは4位に入った[14]。チームはその後、005に代えて006を投入した。
年 | チーム | エンジン | タイヤ | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | ポイント | 順位 |
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1972年 | エルフ・チーム・ティレル | フォード コスワース DFV | G | 51[15] | 2 | ||||||||||||||||
ジャッキー・スチュワート | 7 | Ret | 1 | 1 | |||||||||||||||||
1973年 | エルフ・チーム・ティレル | フォード コスワース DFV 3.0 |
G | 82[16] | 2 | ||||||||||||||||
ジャッキー・スチュワート | 3 | 2 | |||||||||||||||||||
フランソワ・セベール | NC | ||||||||||||||||||||
クリス・エイモン | 10 | NS[17] | |||||||||||||||||||
1974年 | エルフ・チーム・ティレル | フォード コスワース DFV 3.0 |
G | 52[18] | 3 | ||||||||||||||||
パトリック・デパイユ | 6 | 8 | 4 |