ディルク・バレンツゾーン

ディルク・バレンツゾーン
Dirck Barendsz.
コルネリス・ケテルによる肖像画
生誕 1534年
アムステルダム
死没 1592年5月26日
アムステルダム
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ディルク・バレンツゾーン(Dirck Barendsz. または Theodor Barendszoon、ラテン語名:Theodorus Bernardus Amsterodamus、1534年 - 1592年5月26日(葬礼日))はオランダの画家である。

略歴

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アムステルダムで生まれた。父親は「Doove Barend(聾啞のバレンド」として知られる画家のバレンド・ディルクスゾーン(Barend Dircksz.: c.1500- c.1577)で、はじめ父親から絵を学んだ[1]。1555年頃、イタリアに移り、ローマヴェネツィアで修行し、ヴェネツィアの画家、ティツィアーノ・ヴェチェッリオの弟子になった[2]。1562年頃、オランダに戻り、画家として働いた。ヴェネツィアの画家、ヤコポ・バッサーノ(c.1510-1590)のスタイルからも影響を受けていた。ネーデルランドの画家の伝記を出版したカレル・ファン・マンデル(1548-1606)によれば、ローマで知り合った思想家のドミニクス・ランプソニウス(Dominicus Lampsonius: 1532-1599)と親しかったとされる[3]

残されている油彩画は少ないが、祭壇画や、自警団を描いた集団肖像画などがある。キリストの生涯を描いた一連の作品はヨハン・サデラー(Johan Sadeler: 1550-1600)らによって版画にされて残されている。

作品

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アムステルダムの自警団の集団肖像画 (1566)
罪深い人々
マリアの祭壇画

脚注

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  1. ^ «Dirck Barendsz.» en Rijksbureau voor Kunsthistorische Documentatie.
  2. ^ Huidobro-Tomé, p. 331.
  3. ^ Mander, Karel van, «Het leven van Dirck Barentsen, uytnemende Schilder van Amsterdam» [La vida de Dirck Baretsen artista pintor de Ámsterdam], Het schilder-boeck, digitale bibliotheek voor de Nederlndse letteren.

参考文献

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  • Huidobro, Concha y Tomé Virseda, Consuelo, Grabados flamencos y holandeses del siglo XVI. Obras escogidas de la Biblioteca Nacional, catálogo de la exposición, Madrid, Biblioteca Nacional, 2004, ISBN 84-88699-69-7