トミー・ポッター Tommy Potter | |
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基本情報 | |
出生名 | Charles Thomas Potter |
生誕 | 1918年9月21日 |
出身地 | アメリカ合衆国 ペンシルベニア州フィラデルフィア |
死没 | 1988年3月1日(69歳没) |
ジャンル | ジャズ |
職業 | ミュージシャン |
担当楽器 | ダブルベース |
共同作業者 | チャーリー・パーカー、マイルス・デイヴィス、ビリー・エクスタイン |
トミー・ポッター(Tommy Potter、1918年9月21日 - 1988年3月1日)は、ジャズのダブルベース奏者[1]。特に1947年から1950年にかけて、マイルス・デイヴィスとともに、チャーリー・パーカーの「クラシック・クインテット (classic quintet)」の一員であったことで知られた[2]。
フィラデルフィアに生まれ、育ったポッターは、16歳で心臓病を患い2年間の入院生活を送ったが、病を克服し、その後にベースの演奏を体得し、ニューヨークのジャズ・シーンで活動を始めた[2]。
ディジー・ガレスピー、ラッキー・トンプソン、アート・ブレイキーも参加していたビリー・エクスタインのバンドで、1944年にパーカーと初めて共演した[3]。1947年から1950年にかけて、マイルス・デイヴィス、デューク・ジョーダン、マックス・ローチとともに、チャーリー・パーカーのクインテットに参加した[2]。
ポッターが活動した時期は、スウィング・ジャズからモダン・ジャズへの移行期、両者が並行する時期であったが、特に1950年代前半のポッターはその両方の分野の数多くのジャズ・ミュージシャンたちと共演し、録音を残し、その中には、アール・ハインズ、アーティ・ショウのようにスウィングの代表的なミュージシャンたちもいた[2]。この他、ポッターが共演したミュージシャンたちの中には、バド・パウエル、カウント・ベイシー、ソニー・ロリンズ、スタン・ゲッツ、マックス・ローチ、エディ・ヘイウッド、タイリー・グレン、ハリー・“スウィーツ”・エディソン、バック・クレイトン、チャールズ・ロイドらが含まれていた。
唯一のリーダー作は、1956年にストックホルムで録音されスウェーデンのメトロノーム・レコードからリリースされた78回転盤の音源を編集したアルバム『トミー・ポッターズ・ハード・ファンク』で、1958年にLPとしてリリースされ、後にはライブ音源を加えた『Hard Funk In Sweden』として2009年にCDがリリースされた[4]。
ポッターは、1960年代半ばに、家族との時間をもつためとして、フルタイムのミュージシャンとしての生活をやめて普通の仕事に就き、休日などにしか演奏しなくなった[2]。その後、さらに関節炎を患い、まったく演奏しなくなった[2]。
セロニアス・モンク / ソニー・ロリンズ / アート・テイラー