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創業者 | 豊田佐吉 |
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国籍 |
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中核企業 | トヨタ自動車 |
トヨタグループ(英: Toyota Group)は、トヨタ自動車を中核とする日本の企業グループである。
愛知県刈谷市の豊田自動織機が源流で、現在はそこから分社したトヨタ自動車が中核となっている。同社と資本関係や技術提携のあるトヨタグループ主要企業、ならびに豊田自動織機やトヨタ自動車から分社化した事業会社、機能会社を指す。またトヨタ自動車のサプライヤーや系列企業などの意味で称されることもある。
トヨタ自動車やその母体となった豊田自動織機が出資、設立した805社の企業[注 1]により構成される。トヨタ自動車の発展と共に形成されたグループゆえ、自動車関連の事業を行う企業が多い。トヨタグループの部品サプライヤーにはデンソーやアイシンなど、技術力が評価され、トヨタグループ以外の自動車メーカーにも部品供給をしている企業も多い。それら企業力のあるグループ企業の中には、事業規模の拡大に伴う関連会社の設立により独自の企業グループも構成するようになっている。デンソー、アイシン、豊田通商などがそれら企業に該当する。また、豊田自動織機をはじめ、デンソー、アイシン、トヨタ紡織、トヨタ車体、ジェイテクトなど、愛知県刈谷市に本社を構えるトヨタグループの会社が多く、各社は同市および豊田市などの西三河に多数の工場や営業拠点などを構えている。
上記13社にトヨタ自動車の傘下(連結子会社)である国内自動車メーカー2社および住宅メーカー1社を含めた企業グループ。
上記16社にトヨタ自動車の直轄工場と同列の国内生産子会社1社を含めた企業グループ。2018年5月現在。トヨタ自動車、豊田自動織機、豊田通商、トヨタ車体などグループ各企業のHPにおける関連企業、トヨタグループ紹介のページではここまで(自社を加えた全17社)である[1]。
トヨタ自動車の直轄工場と同列の国内生産子会社1社を含めた企業グループ。
下記企業も2012年6月までは含まれており、「トヨタグループ19社」であった。
トヨタ自動車の関連企業(トヨタ自動車グループ)、トヨタ自動車と縁が深い企業など。
トヨタ自動車のサプライヤーを(広義の)「トヨタグループ」と称することもある。
豊田利三郎、豊田喜一郎らが豊田佐吉の遺訓としてまとめたトヨタグループ憲章。1935年10月30日(豊田佐吉の6周忌)に制定。
グループの中核企業であるトヨタ自動車は財務体質がきわめて優良であり(内部留保している資金が10兆円近くあるとされており、「トヨタ銀行」と揶揄されたこともある)、トヨタグループは三大財閥(三菱・三井・住友)グループやメガバンク系グループとは一線を画する独立系の企業集団と見られている。
しかしそのトヨタ自動車(以下、本項では1950年から1982年までのトヨタ自動車工業・トヨタ自動車販売の両社も含めて「トヨタ」と総称する)は1949年のドッジ・ラインの影響で経営危機に見舞われるが、その際、当時の三井グループの帝国銀行・愛知県地盤の東海銀行を中心とする銀行24行による協調融資団が結成された。この流れから、現在は三井住友銀行と三菱UFJ銀行がメインバンクとなっている。
しかし、帝国銀行・東海銀行とともに、当時のメインバンクの一つだった住友グループの大阪銀行(のちの住友銀行、現・三井住友銀行)から融資を断られ、貸出金の回収に走り取引を打ち切った。結局、日本銀行の斡旋による銀行団の融資を受けている。ちなみに、当時のトヨタとの取引銀行は都銀・地銀含め25行あったが、純粋に取引を断絶したのは住友銀行のみである。
このとき、三井グループの帝国銀行(のちの三井銀行→太陽神戸三井銀行→さくら銀行、現三井住友銀行。以下同)が日銀の要請に応じ、トヨタは三井グループを構成する二木会(グループ企業の社長会)・三井業際研究所(二木会直轄のシンクタンク)・綱町三井倶楽部(グループ企業の部課長クラス以上を会員とする社交クラブ)に加盟する(経営危機以前から豊田家と三井家は縁戚関係であった)。また三井銀行から派遣された中川不器男がのちにトヨタの4代目社長に就任している。1997年に三井グループのさくら銀行(旧帝国銀行→三井銀行→太陽神戸三井銀行、現三井住友銀行)の経営不安説が流れた際は、トヨタに増資を要請する事態にまで陥った。いくらトヨタが優良企業で、かつて帝国銀行に経営危機を救ってもらったからとは言え、メーカーが銀行の救済をするというのは異例の事態であった。
また三井グループの商社の三井物産と親密で、トヨタの海外法人の設立に関与している。また「B.LEAGUE」所属で、トヨタの男子バスケットボール部を母体とするプロクラブ「アルバルク東京」の運営会社には、三井物産の子会社である三井物産フォーサイトも出資している。
反面、住友グループの大阪銀行の融資拒否の件(住友銀行の記事参照)以来、トヨタは住友グループとも関わりを一切断っていた(住友金属(のちの新日鉄住金→現・日本製鉄)・住友電工を除く)。事実、1965年においてプリンス自動車工業が経営危機に陥った際、トヨタは住友銀行から持ちかけられた合併提案を拒んでいる。その後、1966年にプリンス自動車工業はトヨタのライバル会社である日産自動車に合併された。
そして、2001年4月1日に住友銀行とさくら銀行が合併し、「三井住友銀行」が発足した際には、トヨタに対しかなりの根回しがなされた。商法の手続き上、住友銀行が存続会社となるためである。こうした経緯から合併後も、トヨタグループへの対応は原則として旧三井銀行→太陽神戸三井銀行→さくら銀行系の店舗や人員が行っているとされる。
一方で、三菱グループの千代田銀行(のちの三菱銀行→東京三菱銀行→三菱東京UFJ銀行、現・三菱UFJ銀行)は再建策には消極的であった。こうして、三菱銀行ならびに三菱グループとは取引解消には至らなかったものの、この事が原因なのか、三菱グループとの関係は悪く、一部の企業を除いて全面的な取引がなされなかった。また三菱銀行とは長らく海外の資金調達や決済など一部の取引や口座に限られた。トヨタグループと三菱グループとの間に全面的なつながりができるのは、1996年に海外事業関係で取引のあった東京銀行(現・三菱UFJ銀行)が三菱銀行に合併されて、「東京三菱銀行」になってからといわれる。
また、三井グループの帝国銀行とともに日銀の要請に応じてトヨタに融資した銀行の中には東海銀行(のちのUFJ銀行、現・三菱UFJ銀行)がある。これは、トヨタ関連の企業の多くは本社のある愛知県を拠点とする東海銀行を長くメインバンクにしていた。この関係から、トヨタはUFJホールディングス(UFJHD)設立時にその大株主となった(なお、ダイハツ工業は、東海銀行と合併してUFJ銀行(現・三菱UFJ銀行)となる三和銀行をメインバンクとしており、三和銀行の大口取引先で構成する「みどり会」のメンバーである。トヨタにとっても、三和銀行は準メインバンクと位置づけられていた)。
もっとも、不良債権問題を背景とする銀行再編成の渦中で、経営困難に陥ったUFJホールディングス(UFJHD)の救済に三井グループ・住友グループの三井住友フィナンシャルグループ(SMFG)と三菱グループの三菱東京フィナンシャル・グループ(MTFG)が名乗りを上げていたが、UFJHDはMTFGとの合併を選んだ。2005年に入り、三菱UFJフィナンシャル・グループ(MUFG) と三菱重工業は相次いで、トヨタグループから社外取締役を迎えている(MUFGには日野自動車元会長の大木島巖(UFJHDから続任)、三菱重工業にはアイシン精機(現・アイシン)元会長の和田明広が取締役として入った。両者は共にトヨタ副社長経験者である)。
現在のトヨタは、三菱重工・三菱航空機の推進するMitsubishi SpaceJet計画に大きく出資している。また、三菱航空機は製造にトヨタ生産方式を採用する方向で検討しており、製造段階でトヨタから指導及び技術支援を得る考えである。