『ナッティ・ドレッド』 | ||||
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ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ の スタジオ・アルバム | ||||
リリース | ||||
録音 | 1974年 キングストン ハリー・J・スタジオ | |||
ジャンル | レゲエ | |||
時間 | ||||
レーベル | タフ・ゴング/アイランド・レコード | |||
プロデュース | ザ・ウェイラーズ、クリス・ブラックウェル | |||
専門評論家によるレビュー | ||||
チャート最高順位 | ||||
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ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ アルバム 年表 | ||||
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『ナッティ・ドレッド』(Natty Dread)は、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズが1974年に録音・発表したスタジオ・アルバム。
バニー・ウェイラーとピーター・トッシュのザ・ウェイラーズ脱退に伴い、本作よりアイ・スリーズ(リタ・マーリー、ジュディ・モワット、マーシャ・グリフィスの3人)がバッキング・ボーカルを担当するようになった。
「ノー・ウーマン、ノー・クライ」の作詞・作曲者としてクレジットされているヴィンセント・フォードは、マーリーの幼なじみである[3]。ただし、状況からすれば実際にフォードが作詞・作曲をしたわけではないとする見解もある[3]。これに関しては、マーリーが以前契約していたケイマン・ミュージックと版権の争いがあり、当時はマーリー自身の名義では版権を自由にコントロールできなかったから他人の名義を使ったという説や、マーリーがフォードの生活を助けるために印税をプレゼントしたという説もある[4]。「ライヴリー・アップ・ユアセルフ」「ゼム・ベリー・フル」「ベンド・ダウン・ロウ」の3曲は、過去にザ・ウェイラーズ名義で発表した曲のセルフ・カヴァー。
マーリーは本作で初めて、全英アルバムチャート入りを果たした。アメリカでは、総合アルバム・チャートのBillboard 200では92位、R&Bアルバム・チャートでは44位に達した[2]。
1991年発売のコンピレーション・アルバム『トーキン・ブルース』には、本作のレコーディング・セッションで録音された「トーキング・ブルース」「ベンド・ダウン・ロウ」の別ヴァージョンと、アウトテイク「アイム・ア・ドゥ」が収録された。「アイム・ア・ドゥ」は、2001年に発売された本作のリマスターCDにボーナス・トラックとして追加収録された。
音楽評論家のJim Newsomは、 allmusic.comにおいて本作に満点の5つ星を与え、「ボブ・マーリーの最高傑作であり、レゲエのレコードとしては究極の作品」「政治的・社会的なコメントとジャーへの賛歌を織り交ぜて、そもそもレゲエとは何であったのかということを定義づけている」と評している[5]。また、『ローリング・ストーン』誌が2003年に選出したオールタイム・グレイテスト・アルバム500では、182位にランク・インした[6]。