ナンジャ・ラージャ Nanja Raja | |
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マイソール王 | |
在位 | 1766年 - 1770年 |
戴冠式 | 1770年5月6日 |
別号 | ラージャ |
全名 | ナンジャ・ダラヴァーイー・ラージャ |
出生 |
1748年 |
死去 |
1770年8月2日 シュリーランガパトナ |
王朝 | オデヤ朝 |
父親 | クリシュナ・ラージャ2世 |
宗教 | ヒンドゥー教 |
ナンジャ・ラージャ(Nanja Raja, 1748年 - 1770年8月2日)は、南インドのカルナータカ地方、マイソール王国の君主(在位:1766年 - 1770年)。
1766年4月25日、父クリシュナ・ラージャ2世が死亡したことにより、ナンジャ・ラージャが王位を継承した[1]。
しかし、 サルヴァーディカーリー(首席大臣)のハイダル・アリーが父の治世末期より全権を握っており、その統治は名ばかりであった[1]。
また、1767年から1769年にかけて、ハイダル・アリーはタミル地方に侵攻し、イギリス と3年にわたる戦争を行った(第一次マイソール戦争)。
1770年8月2日、ナンジャ・ラージャはハイダル・アリーの命によって送られた毒入りの牛乳を飲み、シュリーランガパトナの宮殿で死亡した[1]。