ニデック本社 | |
種類 | 株式会社 |
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機関設計 | 監査等委員会設置会社[1] |
市場情報 | |
略称 | 日電産、NIDEC、ニデック |
本社所在地 |
日本 〒601-8205 京都府京都市南区久世殿城町338番地 |
設立 | 1973年(昭和48年)7月23日 |
業種 | 電気機器 |
法人番号 | 9130001002387 |
事業内容 | 精密小型モーター、電子・光学部品製造 |
代表者 |
永守重信(代表取締役グローバルグループ代表) 岸田光哉(代表取締役社長執行役員CEO) |
資本金 | 877億84百万円(2022年3月末現在)[2] |
発行済株式総数 |
5億9,628万4,468株 (2022年3月末現在)[2] |
売上高 |
連結:2兆2,428億24百万円 (2023年3月期)[3] |
営業利益 |
連結:1,000億81百万円 (2023年3月期)[3] |
純利益 |
連結:450億03百万円 (2023年3月期)[3] |
純資産 |
連結:1兆3,545億05百万円 (2023年3月期)[3] |
総資産 |
連結:2兆8,725億91百万円 (2023年3月期)[3] |
従業員数 |
連結:114,371名 (2022年3月末現在)[2] |
決算期 | 3月31日 |
会計監査人 | PwC京都監査法人 |
主要株主 |
日本マスタートラスト信託銀行株式会社(信託口) 13.61% 永守重信 8.51% 日本カストディ銀行株式会社(信託口) 4.53% 株式会社京都銀行(常任代理人株式会社日本カストディ銀行) 4.27% エスエヌ興産合同会社 3.48% (2022年3月31日現在) |
主要子会社 |
ニデックインスツルメンツ ニデックプレシジョン ニデックアドバンスドモータ |
関係する人物 |
永守重信 小瀧徹 |
外部リンク | https://www.nidec.com/jp/ |
特記事項:純資産の連結は株主資本 |
ニデック株式会社(英: NIDEC CORPORATION)は、京都府京都市に本社を置く日本の電機メーカー。東証プライム市場上場。旧社名は日本電産株式会社。
創業者は永守重信[4]。精密小型モータの開発・製造において世界一のシェアを維持・継続しており、世界シェアは約11%である[4]。
「Nidec」は、Ni=日本、De=電産、c=株式会社、の略[5]。2023年(令和5年)4月1日より社名を英称と同じニデック株式会社に変更し[注釈 1]、グループ会社の商号もグループブランド名である「ニデック」の名を冠したものへ統一した[5]。
日経平均株価およびTOPIX Large70の構成銘柄の一つ[6][7]。
永守は、学歴など固定観念に囚われると人を動かせずに多くの人材をダメにしてしまうと語っており[8]、日本の偏差値に偏重した教育を批判しており、若者を駄目にしているという。大学教育を根底から変えると宣言をしているとされている[9]。ニデックではキャリア・年齢・学歴は採用基準に関係がないと語っており[10]、ニデックでは採用は学歴が基準ではなく成績も参考程度で重視していなく[10]、能力・実力一辺倒の人事考課制度を採用している[10]。またエリート学生を不採用にしても落ちこぼれや留年学生を採用しているとされている[11]。
学問以外に情熱を注ぎ込んだ学生は、漫然と通学してそこそこの成績で卒業した学生よりも余程魅力があり、磨けば光り輝く可能性があるという[11]。エリートばかりの組織は既成事実ができると時代が変化しても変革しようとする意欲が乏しく、エリート集団は失敗を経験したことがない連中が集まっているため何か起こった時に自分が矢面に立とうとせず、保身に回る傾向が強いというが、落ちこぼれは何度も失敗を経験しているため打たれ強く開き直ることができるという[11]。超エリートは役に立たないと言う経営者の話をよく耳にし、同感しているという[12]。学校で1番を通してきた人間はこれまでが成功の連続だったために少しの失敗も耐えられないことが多く、競争には強いが精神的には脆いといい、ライバルには勝てるが自分自身には克てないという結果になりやすいという[12]。エリートは「皆から好かれよう」「嫌われたくない」という意識が強く、他人の目・評価を気にし過ぎて大胆になれないといい、多くの反対者を押し切り、これまでのやり方を変えていこうという気持ちになりにくいという[12]。
リーマンショック時、雇用を維持する代わりに社員にも1-5%の賃金カットを求めた。ただし業績が回復した翌年以降にカット分に1%の金利を付けて追加支給を行なっている。
本社は京都市南区久世殿城町338番地の、国道171号線沿いにある。本社ビルは2003年(平成15年)3月竣工した地上22階・地下2階、高さ 100.6 mの高層ビルである。現在の本社所在地は旧シンポ工業(現ニデックドライブテクノロジー)の本社所在地であった。
本社所在地は桓武天皇が784年(延暦3年)に造営した長岡京の遺跡の一角にあたっている。本社建設に先だって行われた発掘調査では、巨大な掘立柱建築物跡を始めとするさまざまな遺構が発見された。そして、出土した墨書土器の文字によって、桓武天皇が長岡京から平安京[注釈 2]に移る1年余りの間滞在した長岡京東院であることが判明した。これは平安京に先立つ天皇の御所の遺跡として注目され、学界からは遺跡保存の要望も出された。ニデックによると、本社ビルの建設は遺跡に配慮して当初の設計を大幅に変更して施工され、地下に遺跡を現状保存している[13]。
研究開発拠点
営業拠点
2021年(令和3年)9月現在の連結子会社は336社、持分法適用関連会社は4社である。
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この節の加筆が望まれています。 |
ニデックの主力製品は電動機(モータ)であり、特に精密小型モーターや中型モーターに強みがある。精密小型モーターはハードディスクドライブ (HDD) などに使用され、中型モーターは自動車や家庭用電気機械器具に搭載されている。インテルのリテールCPUに付属するCPUクーラーには、同社のOEM製品もある。
役名 | 職名 | 氏名 | 備考 |
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取締役会長
(代表取締役) |
グローバルグループ代表 | 永守重信 | 創業者 |
取締役社長
(代表取締役) |
CEO(最高経営責任者) | 岸田光哉 | ソニー㈱(現ソニーグループ㈱)出身 |
ニデック創業者で現会長の永守重信は創業時の努力経験からハードワークを提唱しているが、それに対して労働基準法違反やパワーハラスメント疑惑に関する警鐘が外部より鳴らされている[25]。なお、本節では事象発生時の社名にて記載するものとする。
長時間労働や無理難題な業務を押し付けられたり、意味なく詰られるなどパワーハラスメントを受け、うつ病で精神神経科に通院したとされる元社員 Aによる訴訟が発生している[26]。日本電産は2012年10月末を以てAとの雇用契約を打ち切り、雇止めとしたとされている[26]。Aは職場の改善を求め、JMIU(全日本金属情報機器労働組合)京滋地方本部に相談し、労働組合に加入して団体交渉をし、京都職対連の支援を受け、うつ病について労災申請も行ったが、会社は団体交渉でも態度を変えず、パワハラについても認めず、雇止めを強行したという[26]。2013年2月にAのうつ病について業務上の物であるとの労災認定が下されている[26]。
日本電産は2020年(令和2年)までに残業ゼロを実現すると2016年(平成28年)10月に宣言している[27]。この背景には、買収した海外企業が残業せず、一カ月の長期休暇を取得しても、好業績を挙げていることがある。今後は残業代として支払っていた賃金を、半分は賞与に乗せ、半分は社員の教育投資として還元するとしている[28]。
朝日新聞は日本電産の2008年(平成20年)3月期決算発表に関する記事において、永守が「休みたいならやめればいい」[29]との持論を展開した、と報じた。この報道によれば、永守が「社員全員が休日返上で働く企業だから成長できるし給料も上がる。たっぷり休んで、結果的に会社が傾いて人員整理するのでは意味がない」[29]と述べ、同社の成長の原動力が従業員の「ハードワーク」にあると説明したとされる。この発言に対し、同年のメーデー中央大会で日本労働組合総連合会会長の高木剛は労働基準法の趣旨に反すると批判した[30]。来賓として出席した厚生労働大臣の舛添要一も、調査のうえで違反があれば厳正に処分することを約束する[30][31]。しかし日本電産は4月28日、この社長発言について「そのような事実はなく、誠に遺憾に思っております」[32]としたうえで、記者会見での社長発言の趣旨は、雇用安定確保を最重要視し、企業再建でも同方針で実績を上げてきた同社の経営理念を述べたものであると反論する[33]。なお、日本電産による抗議文書は、当初は「朝日新聞の記事(2008年4月24日朝刊)について」であったが[33]、その後上記文書の表題を「一部報道について」に変更した[34]。同年に日本電産が東洋電機製造の買収に失敗したが、その際に日本電産の労務に対する懸念から東洋電機製造労働組合が買収に対して反対を表明している[35]。
永守は自書にて重労働について語っており、創業から参加した1人は風邪で40度近い熱があろうが、午前3時・4時まで残業をしようが定刻までに出勤し、事故で足を骨折した時も松葉杖を突いて出勤したという[36]。
永守は自書にて「学生時代に最も憧れていたのはアウトローを牛耳るヤクザの親分」と語っており[37]、暴言とも取れるようなこき下ろしが功を奏する場合もあると語っている[38]。幹部の書類・図面の出来が悪かった時に本人と皆が見ている前で破り捨て「部屋が汚れたので綺麗にしておいてくれ」と言って部屋を出て行ったことがあったという[39]。社員にも事ある毎に怒鳴り、叱りつけてきたといい、中途半端にやらずに相手を震え上がらせ、もうこれ以上怒鳴ったり叱ったりすると夜道で後ろからナイフで刺されるのではないかという極限までやったという[39]。京都駅構内で大声で怒鳴ったり、取引先に連れていって叱ったこともあり、机を思い切り叩くのは日常茶飯事で、花瓶を床に叩きつけて割ったり、近くにある物を蹴飛ばして壊していたという[39]。