ハリコフ (Харьков) はソ連海軍 の嚮導駆逐艦 。レニングラード級 。艦名はウクライナ・ソビエト社会主義共和国 の暫定的な首都であった都市 にちなむ[ 1] 。
1932年10月19日、ニコラエフ の第198造船所で起工[ 2] 。1934年9月9日進水 。セヴァストポリ の第201造船所へと曳航される。[ 3] 1938年11月19日に就役し、黒海艦隊 に編入[ 4] 。
1941年6月22日にドイツ軍のソ連侵攻(バルバロッサ作戦 )が開始されると、セヴァストポリ沖に防御用の機雷原を設置するため6月23日朝に艦隊は出撃した[ 5] 。翌日、コンスタンツァ からルーマニアの駆逐艦が出撃したとの報告を受けて「ハリコフ」と駆逐艦「Smyshlennyy」、「Besposhchadny」はドナウ小艦隊の河用砲艦支援のためドナウ川 河口へと向かった。ズミイヌイ島 のルーマニア兵砲撃や水陸両用作戦の支援、機雷の敷設や掃海を行い、6月25日にセヴァストポリに帰投した。ルーマニアの水上部隊との交戦は発生しなかった。[ 6] [ 7]
6月26日早朝、「モスクワ」と「ハリコフ」はコンスタンツァ周辺を砲撃した [ 8] 。2隻は10分間で130㎜砲弾350発を発射し、弾薬列車を爆発させたり港湾施設に被害を与えたが、「モスクワ」が失われ(おそらく機雷が原因)、「ハリコフ」もルーマニア側からの砲撃で軽微な被害を受けた[ 9] 。また、「ハリコフ」は爆撃で至近弾を受けて一時操艦不能となった[ 10] 。他に、ソ連潜水艦「Shch-206」が「モスクワ」を雷撃して沈めたとも[ 10] 、同艦は魚雷を「ハリコフ」に対して1本、駆逐艦「ソオブラジーテリヌイ 」に対して2本発射したが共に外れたとも[ 11] 、潜水艦「SCH-206」が「モスクワ」に対して魚雷2本を発射したが外れ、その後「ハリコフ」に沈められたとも[ 12] いわれる。
7月18日まで修理が行われ[ 13] 、それから「ハリコフ」は巡洋艦「コミンテルン 」、駆逐艦「Smyshlennyy」、「Bodry」、「Shaumyan」や多数の小型船舶と共にドナウ小艦隊のオデッサ への退却を援護した[ 6] 。
9月7日、「ハリコフ」は駆逐艦「Boiki」、「Sposonby」を伴ってフィリップ・オクチャーブリスキー 中将をオデッサへ運び、同地ではこれらの艦は駆逐艦「Dzerzhinski」とともにルーマニア軍陣地を砲撃した[ 14] 。
11月1日から9日にかけて「ハリコフ」と巡洋艦「クラスニイ・カフカズ」、「クラスニイ・クリム」、「チェルヴォナ・ウクライナ」などと共にテンドラ半島やChernomorsk、ヤルタ 、Evpatoria、フェオドシヤ からセヴァストポリへ8000名(18000名[ 15] )を撤退させた[ 16] 。「ハリコフ」と「クラスニイ・カフカズ」、「クラスニイ・クリム」などは12月7日から13日に第388ライフル師団(10582名)をノヴォロシースク およびトゥアプセ からセヴァストポリへ、12月19と20日には第79海軍ライフル旅団(3500名)をセヴァストポリへ運んだ[ 17] 。第354ライフル師団(10600名)のセヴァストポリへの輸送作戦の際には「ハリコフ」は12月21日と22日にドイツ軍に対する砲撃に参加した[ 18] 。
1942年1月31日から2月2日と2月3日から4日に他の駆逐艦と共にセヴァストポリへの補給物資輸送に従事し、艦砲射撃も実施[ 19] 。2月4日、「ハリコフ」と 「タシュケント 」はKamysh Burun周辺のドイツ軍を砲撃した[ 20] [ 21] 。続いて「ハリコフ」は輸送船と共にセヴァストポリへ兵士386名を運んだり、セヴァストポリ周辺で艦砲射撃を実施した[ 22] 。2月15日、「ハリコフ」は掃海艇と共にセヴァストポリへ兵士650名を運び、負傷者152名を収容した[ 23] 。ケルチ半島でのソ連軍の攻勢の際、「ハリコフ」は巡洋艦「クラスニイ・クリム」、駆逐艦「タシュケント」などとともに牽制として2月27日にクリミア南岸を砲撃した[ 24] 。3月25日、4月2日と4月10日、他艦と共にセヴァストポリへの補給物資輸送に従事[ 25] 。5月1日、セヴァストポリへの補給物資輸送および艦砲射撃を実施[ 26] 。5月4から5日の夜、「ハリコフ」は他の駆逐艦と共にクリミア南東岸のドイツ軍を砲撃した[ 27] 。5月12、13、14日、「ハリコフ」と「タシュケント」はフェオドシヤ湾で艦砲射撃を実施した[ 28] 。5月16日と19日にもセヴァストポリへの補給物資輸送に従事[ 29] 。6月5日、セヴァストポリへ兵士270名を輸送[ 30] 。6月18日、「ハリコフ」はドイツ軍による爆撃を受けて至近弾で操艦不能となり、「タシュケント」に曳航された[ 31] (または、「タシュケント」にポチまで護送された[ 32] )。
8月2から3日の夜、「ハリコフ」と巡洋艦「モロトフ 」はフェオドシヤ湾で艦砲射撃を実施[ 33] 。帰路、イタリア魚雷艇の攻撃で「モロトフ」が被雷した[ 19] 。ノヴォロシースクの戦いの際は9月1、2、4日に「ハリコフ」と駆逐艦「ソオブラジーテリヌイ」は火力支援を行った[ 34] 。9月8から11日、「ハリコフ」は「クラスニイ・クリム」などとともにポティ からトゥアプセとゲレンジーク へ第137および145ライフル連隊と第3海軍ライフル旅団および補給物資を運んだ[ 35] 。10月20から23日、「ハリコフ」と「クラスニイ・カフカズ」、「クラスニイ・クリム」などは第8、第9および第10Guards Rifle Brigad(12600名)をポティからトゥアプセへ輸送した[ 36] 。11月29日から12月2日、黒海艦隊によるブルガリア・ルーマニア沿岸での作戦に参加[ 37] 。12月19から20日の夜、「ハリコフ」と駆逐艦「Boiki」はヤルタ を砲撃した[ 38] 。1943年2月4日、ソ連軍はノヴォロシースクの西への上陸を行い、「ハリコフ」と巡洋艦「クラスニイ・カフカズ」、「クラスニイ・クリム」などは上陸地点に対する砲撃を行った[ 39] 。2月21から22日の夜、「ハリコフ」と駆逐艦「ソオブラジーテリヌイ」はMyschako橋頭保のはずれのドイツ軍陣地を砲撃した[ 40] 。5月13から14日の夜、「ハリコフ」と駆逐艦「Boiki」はアナパ を砲撃し、ドイツ魚雷艇「S51」、「S26」、「S49」と交戦した[ 41] 。5月20から21日の夜、「ハリコフ」はフェオドシヤを砲撃[ 41] 。
1943年10月6日、「ハリコフ」は他の駆逐艦2隻と共にドイツ軍の第3急降下爆撃航空団 第3飛行隊 (III./StG 3)[ 42] 、または第77急降下爆撃航空団 (StG 77) の攻撃で撃沈された[ 43] [ 44] 。
10月5日から6日の夜、「ハリコフ」と駆逐艦「Besposhchadny」と「Sposobny」による作戦が実施となった[ 45] 。「ハリコフ」はヤルタとアルシタ を砲撃[ 42] 。一方、フェオドシヤへ向かった駆逐艦「Besposhchadny」と「Sposobny」はドイツ魚雷艇「S45」、「S28」、「S42」、「S51」、「S52」と交戦[ 42] 。ソ連駆逐艦2隻は長時間にわたってドイツ魚雷艇を追跡したが、これが惨事を招くこととなった[ 44] 。2隻が「ハリコフ」と合流したときは既に日が昇っており、3隻のソ連駆逐艦はドイツ軍の偵察機に発見され、続いてJu87 急降下爆撃機4度にわたる攻撃を受けた[ 46] 。
1回目の攻撃で「ハリコフ」は被弾して停止し炎上[ 46] 。「Sposobny」が「ハリコフ」を曳航した[ 46] 。2度目の攻撃では3隻とも被弾し、「Besposhchadny」が航行不能となる[ 46] 。3度目の攻撃でさらに被弾した「ハリコフ」と「Besposhchadny」は総員退艦となり、4度目の攻撃で沈没[ 46] 。「Sposobny」も4度目の攻撃で被弾し、最終的に沈没した[ 46] 。
この出来事により、特別命令なしに巡洋艦と駆逐艦を出撃させることはスターリンにより禁止されることになった[ 47] 。
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