本社が入居していた住友不動産三田ビル (バンダイナムコ未来研究所) | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
略称 | バンプレ |
本社所在地 |
日本 〒105-0014 東京都港区芝5丁目37番8号 バンダイナムコ未来研究所5・6F 北緯35度38分40.3秒 東経139度44分40.2秒 / 北緯35.644528度 東経139.744500度座標: 北緯35度38分40.3秒 東経139度44分40.2秒 / 北緯35.644528度 東経139.744500度 |
設立 | 2008年(平成20年)4月1日 |
廃止 |
2019年(平成31年)4月1日 (BANDAI SPIRITSに吸収合併) |
業種 | 情報・通信業 |
事業内容 | プライズゲーム機、景品の企画、販売 |
代表者 | 代表取締役社長 吉川昌之 |
資本金 | 1億円 |
純利益 |
9億7210万7528円 (2017年3月期) |
純資産 |
131億9626万8002円 (2017年3月期) |
総資産 |
177億4548万2822円 (2017年3月期) |
従業員数 |
123名 (2018年4月1日現在) |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 | バンダイナムコホールディングス 100% |
主要子会社 | バンプレスト販売 |
関係する人物 | |
外部リンク | https://www.banpresto.co.jp/ |
特記事項:特記ない限り、2019年3月時点のデータ |
バンプレスト(英: BANPRESTO)は、BANDAI SPIRITSが展開するプライズゲーム向け景品のブランド。名称はバンダイの「バン」とイタリア語の演奏記号「Presto(急速に)」に由来する。
また、株式会社バンプレスト(英: BANPRESTO CO., LTD.)は、2019年3月までこれらの事業を展開していたバンダイナムコグループの企業である。歴史上の源流となる豊栄産業(ほうえいさんぎょう)から法人としてのバンプレスト消滅までは、複雑な変遷をたどっており、本項ではこれらを時系列で解説する。
1977年(昭和52年)4月に松田靖(まつだ やすし)によって豊栄産業株式会社として設立。東京都田無市(後の西東京市)に本社を置いた。1980年代、玩具業界は成熟し成長が見込めなくなりつつあった中、大手玩具メーカーのバンダイは様々な新規事業への進出を模索しており、その中にはアミューズメント事業についての計画もあった。
バンダイの新規事業担当だった杉浦幸昌は「アミューズメント業界ではキャラクターがほとんど手付かず」であると考えて、同社のキャラクターマーチャンダイジングを生かせば成功すると判断し、提携先の企業を探していた。バンダイはアミューズメント業界での実績があった株式会社コアランドテクノロジー(旧・豊栄産業)を提携先に選び、資金援助などの投資を開始した。しかし始めてみるとコアランドテクノロジーの経営状態は芳しくなく、15億円の借金を抱えていた事が判明した。既に大きな投資をしていたため引けなかったバンダイは1989年に同社を子会社化し、その借金を「丸抱え」する形で経営改善に乗り出した。その際に社名をコアランドテクノロジーから「バンプレスト」に変更、また杉浦幸昌が社長に就任した。
当時、「UFOキャッチャー」のヒットによりアミューズメント業界が急成長している時代だった。しかし使われていた景品は検品漏れのぬいぐるみを安く仕入れて来た物ばかりで版権物は少なかった。そこでバンプレストはゲームセンターの客層に多い20代をターゲットに、ウルトラマンや仮面ライダー、機動戦士ガンダム等の、当時としては若干古いキャラクターの人形を景品として供給。これがヒットし、年間7000万個とも言われる膨大な数を販売した。
更にソフト(景品)とハード(プライズゲーム)の両方を供給する専用部署にて、数多くのプライズゲームと専用景品を展開。キャラクターを使用したカプセル型景品や箱型の景品、文具やポスターなど、ハードと一体の専用景品を多数展開した。これらのアミューズメント業界での商品展開により、バンプレストは2年4カ月で黒字化を達成した。
更に杉浦はポピー時代より様々な版権元に人脈があり、バンプレストにはコアランド時代から続くジャンプバグなどゲームソフトの開発実績と、ファミリーコンピュータ(以下、ファミコン)用ソフトを開発できる体制を持っていた。そこで杉浦は様々な版権キャラクターを一緒に登場させる(クロスオーバー)ゲームソフトを考え、様々な版権元に「私の社長就任祝いにはお金もモノもいらないから、この許諾がどうしても欲しい」と頼み込み、渋々ながら各社から許諾を得る事に成功した。杉浦曰く、当時はまだこうした「無理」が通る良い時代だったと語っている。
こうして発売されたのが同社初のファミコンソフトであり、同社の看板シリーズとなるコンパチヒーローシリーズ第1弾「SDバトル大相撲 平成ヒーロー場所」である。グレイトバトルシリーズなどのヒットを飛ばしたこのシリーズはスーパーロボット大戦シリーズへと派生し、ゲームソフトメーカーとしての知名度も高まった。ちなみに当時のバンダイ社長の山科誠は「バンダイとバッティングするゲームソフトは手掛けないでくれ」としており、バンプレスト側はコンパチシリーズは「バンダイが手がけていない路線のソフト」であるとしていた。
1994年に販路や商品開発を強化すべく手芸会社ユニファイブを子会社化。1998年にバンダイ本社の経営危機により、これを建て直すべく杉浦は親会社のバンダイに戻り、後任はユニファイブ社長の伍賀槌太が就任した。2005年9月、バンダイと大手ゲームメーカーのナムコが統合し、バンダイナムコゲームスが設立される。2008年、バンダイナムコゲームスはバンプレストのゲームソフト事業とアミューズメント事業の吸収を決定し、旧法人としてのバンプレストは解散された。その後、UFOキャッチャーなどの景品の開発・販売を行うプライズ事業のみが新たな企業として分離され、その社名は同じ「バンプレスト」が使用された。
コアランドテクノロジーの関連会社で役員も兼務されていた株式会社コアランドはバンダイグループ入りせず、その後にロケーション運営や不動産の委託経営をしていた。後に神奈川県の店舗「MUTHOS」の管理を引き受けていた。本社は東京都杉並区上井草1-1-5にあった[1]。2012年9月には破産のための手続きを進めていた[2]。
「ブロックくずし」のブーム時、直接アーケードメーカーのみの企業として参入した。当初販売はエスコ貿易が行っていた。この頃はほぼ完全にコピーゲームや亜流で、他社のゲームの影響が色濃いものばかりだった。
1986年中頃まではセガ(後のセガ・インタラクティブ)との関係が深く、それまでの全作品の販売をセガが担当している(特に明記のない作品はセガが販売担当)。
この時期、同社の経営状態は芳しくなく、コアランド名義での作品は1988年10月発表のサイバータンクが最後となる。翌1989年2月からバンダイの出資を受け、社名をバンプレストに変更する。その後、1990年4月にバンプレスト名義で「SDバトル大相撲 平成ヒーロー場所」を発売するまでの2年半、作品リリースは途切れることとなる。
初代社長の杉浦幸昌の人脈を生かし、バンダイのゲームと競合しないクロスオーバー作品を主として、多くのキャラクターゲームを販売している[15]。
(以下、プライズゲーム機)
など。
全て番組は継続中。