パット・バレット | |
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1963年 | |
プロフィール | |
リングネーム |
"アイリッシュ" パット・バレット パディ・バレット ミスター・レスリング |
本名 | パトリック・バレット |
身長 | 182cm |
体重 | 105kg(全盛時) |
誕生日 | 1941年9月4日 |
死亡日 | 2021年11月28日(80歳没)[1] |
出身地 |
アイルランド ダブリン県ダブリン |
デビュー | 1960年 |
引退 | 1985年 |
"アイリッシュ" パット・バレット("Irish" Pat Barrett、本名:Patrick Barrett、1941年9月4日 - 2021年11月28日)は、アイルランド・ダブリン出身のプロレスラー。
第10代WWWF世界タッグ王者。来日は実現しなかったものの、WWWFをはじめアメリカやカナダの主要テリトリーで実績を残した[2]。
1960年、パディ・バレット(Paddy Barrett)のリングネームでアイルランドにてデビュー。1963年に渡米し、ニューヨークのWWWFで活動。同年6月4日には、スカル・マーフィー&ブルート・バーナードが保持していたUSタッグ王座にティム・ウッズと組んで挑戦した[2][3]。
1965年からはカナダ・バンクーバーのNWAオールスター・レスリングを主戦場に活動。1968年7月22日にはドン・レオ・ジョナサンとのコンビでアブドーラ・ザ・ブッチャー&アーマン・ハッサンからNWAカナディアン・タッグ王座を奪取している[4]。以後、1970年代前半はオーストラリアやフロリダを転戦。エディ・グラハムが運営していたNWAフロリダ地区(チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ)では、若手時代のボブ・バックランドともタッグを組んだ[2]。
1975年、"アイリッシュ" パット・バレット("Irish" Pat Barrett)と名乗ってWWWFに復帰。IWAに移籍したビクター・リベラの後任としてドミニク・デヌーチの新パートナーに起用され、6月よりWWWF世界タッグ王座を継承、8月26日にザ・ブラックジャックスに敗れるまで戴冠した[5]。WWWFでは1976年6月まで中堅ベビーフェイスのポジションで活躍し、スパイロス・アリオン、ワルドー・フォン・エリック、イワン・コロフ、アーニー・ラッド、スーパースター・ビリー・グラハム、バグジー・マグロー、スタン・ハンセンなどの主力ヒールと対戦している[2][6][7]。
その後はミッドサウス・エリアのNWAトライステート地区(後のMSWA)に出場。1976年9月28日、ルイジアナ州ニューオーリンズで行われたトーナメント決勝において、ネルソン・ロイヤルを下しNWA世界ジュニアヘビー級王座を獲得、前王者ダニー・ホッジが3月に交通事故を起こして引退して以来、空位となっていた同王座の新チャンピオンとなった[8]。
1977年からはジェリー・ジャレットとジェリー・ローラーが旗揚げしたテネシー州メンフィスの新団体CWAに参戦。ノーベル・オースチンをパートナーに、ハリウッド・ブロンズ(ジェリー・ブラウン&バディ・ロバーツ)やワイルド・サモアンズとAWA南部タッグ王座を争った[9]。1978年3月にはニュージーランドに遠征して、ハーリー・レイスのNWA世界ヘビー級王座に挑戦[10]。1979年から1980年にかけてはロサンゼルスのNWAハリウッド・レスリングで活動。1979年6月28日にブル・ラモスを破り、フラッグシップ・タイトルのNWAアメリカス・ヘビー級王座を獲得した[11]。
1980年代前半は太平洋地域やニュージーランドなどを転戦し、1985年にアイルランドに戻って引退した。2006年8月27日には、ダブリンのアイリッシュ・ホイップ・レスリング(Irish Whip Wrestling)にアイルランド人レスラーのレジェンドとして登場した。