ピエール・モンタン・ベルトン Pierre Montan Berton | |
---|---|
基本情報 | |
生誕 |
1727年1月7日 フランス王国 モベール=フォンテーヌ |
死没 |
1780年5月14日(53歳没) フランス王国 パリ |
ジャンル | クラシック |
職業 | 作曲家、指揮者 |
ピエール・モンタン・ベルトン(Pierre Montan Berton, 1727年1月7日 - 1780年5月14日)は、フランスの作曲家、指揮者。作曲家アンリ・モンタン・ベルトンの父。
ベルトンはサンリスでオルガンと作曲を学んだ後、ボルドーのグランド・テアトル[注 1]で指揮者となった。1775年、王宮の芸術監督、パリ・オペラ座の音楽監督に任用された。1767年から1769年まではジャン=クロード・トリアルと共同で、1775年から1777年までは単独での指揮者職であった。そして1780年には総支配人となっている。
ベルトンが実権を握っていた時代に、グルックやピッチンニの傑作が音楽に革命を起こしていた。また彼自身もオペラを作曲した。「Érosine」(1764年)、「Cythère assiégée」(1775年)などである。
彼の「新しいシャコンヌ Nouvelle Chaconne ホ短調」(1762年)は、ルブレトン・シャコンヌ(Lebreton-)としても知られ、ルイ18世の時代には有名であった。
注釈