フェミ・クティ Femi Kuti | |
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2008年のライブ | |
基本情報 | |
出生名 |
オルフェラ・オルフェミ・アニクラポ・クティ Olufela Olufemi Anikulapo Kuti |
生誕 | 1962年6月16日(62歳) |
出身地 |
イングランド ロンドン ナイジェリア ラゴス |
ジャンル | アフロビート、ファンク、R&B、ソウル |
職業 | シンガーソングライター |
担当楽器 | サクソフォーン、ボーカル、トランペット、キーボード |
活動期間 | 1978年 - |
レーベル | BMG |
共同作業者 | エジプト80、ポジティヴ・フォース |
公式サイト |
www |
フェミ・クティ(英語: Femi Kuti、本名:オルフェラ・オルフェミ・アニクラポ・クティ(英語: Olufela Olufemi Anikulapo Kuti)、1962年6月16日 - )は、ナイジェリアのミュージシャン。アフロビートの創始者として世界的に有名なフェラ・クティの息子。
1962年、フェラ・クティとレミ・クティのあいだにロンドンで生まれ、ナイジェリアの前首都のラゴスで育った。フェラ・クティは子だくさんだったが、母親のレミがフェラのもとを離れると、フェミはレミと共に生活するようになった。フェミはバプテスト・アカデミーとイグボビ大学で学んだ[1]。その後、フェミは父親と共に行動することを決め、最終的にフェラのバンドの一員となった。
父フェラと同様に、ナイジェリアの政治的・社会的問題に強い関心を示し、クティ親子はナイジェリアでも特に政治的なミュージシャンと見られていた[2]。ただし、宗教観については意見を異にした。ドラマー、トニー・アレンは、ブラックパンサー党がフェラ・クティのバンドに与えた影響について、メディアに語っている。
1999年、フジロックフェスティバルに初出演。2001年、アルバム『ファイト・トゥ・ウィン』では、コモン、モス・デフ、マニー・マーク、ジャグアー・ライトなどのアメリカのミュージシャンと共演した。
2002年には、フェミの人生に影響を及ぼした母親レミが60歳で亡くなった。フェミの息子は、父のバンドでアルト・サクソフォーンを演奏している。
ゲーム『グランド・セフト・オートIV』において、ラジオ局「IF99(International Funk 99のことで、西アフリカ、アメリカなどの有名曲を放送する局とされる)」のDJ役を演じた。