2011年のソーンダース | |
故人 | |
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愛称 | Flip |
国籍 | アメリカ合衆国 |
生年月日 | 1955年2月23日 |
没年月日 | 2015年10月25日(60歳没) |
出身地 | オハイオ州クリーブランド |
死没地 | ミネソタ州ミネアポリス |
身長(現役時) | 180 cm (5 ft 11 in) |
体重(現役時) | 79 kg (174 lb) |
キャリア情報 | |
出身 | ミネソタ大学 |
選手経歴 | |
1973-1977 | ミネソタ大学 |
指導者経歴 | |
1995-2005 2005-2008 2009-2012 2014-2015 |
ミネソタ・ティンバーウルブズ デトロイト・ピストンズ ワシントン・ウィザーズ ミネソタ・ティンバーウルブズ |
受賞歴 | |
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フィリップ・"フリップ"・ソーンダース(Phillip "Flip" Saunders、1955年2月23日 - 2015年10月25日)はアメリカ合衆国オハイオ州出身の元バスケットボール指導者。亡くなる直前までNBA、ミネソタ・ティンバーウルブズの球団社長、一部オーナー、ヘッドコーチを務めていた。かつてデトロイト・ピストンズ、ワシントン・ウィザーズのヘッドコーチも務め[1]、2004年と2006年にはNBAオールスターゲームのヘッドコーチも務めた。息子はライアン・サンダース。
ミネソタ大学を1977年に卒業後、カレッジでコーチとしてのキャリアを開始し10年以上務め、CBAでプロのキャリアを開始した。
1995年3月11日、かつてのチームメートであるケビン・マクヘイルのもと、ミネソタ・ティンバーウルブズのGMに招聘され、ビル・ブレアーの後任として1995-1996シーズンのヘッドコーチに就任した。2005年までケビン・ガーネット時代のウルヴスを指揮し、8年連続プレーオフ進出を果たしたが、セミファイナル突破が限界で、2005年シーズン途中で解雇された。
2005-2006シーズンから、前々シーズンチャンピオンとなり、前シーズンファイナルでサンアントニオ・スパーズに敗れた、名将ラリー・ブラウンの後任としてデトロイト・ピストンズのヘッドコーチに就任した。3年連続でカンファレンスファイナルに進出するも、全て敗退し、ピストンズは衰退期に入って行った。2008シーズン終了後、解雇された[2]。
2009年4月14日ワシントン・ウィザーズと、4年1800万ドルの契約に合意しヘッドコーチに就任した[3][4]。3年連続でプレーオフ進出を逃し、2011年シーズン開始17試合後に解雇された[5]。ウィザーズでの通算戦績は51勝130敗であった。
2013年5月3日、ミネソタ・ティンバーウルブズの球団社長に就任し、2014年6月5日ヘッドコーチに就任した[6]。2015年6月にホジキン・リンパ腫と診断され、球団は8月に病名を公表。この時点では、“治療可能な状態”と診断されていたが、10月25日逝去した。[7]
NBAヘッドコーチ実績表略号説明 | |||||||||
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レギュラーシーズン | G | 試合数 | W | 勝利数 | L | 敗戦数 | W–L % | レギュラーシーズン勝率 | |
ポストシーズン | PG | 試合数 | PW | 勝利数 | PL | 敗戦数 | PW–L % | プレイオフ勝率 |
チーム | シーズン | G | W | L | W–L% | シーズン結果 | PG | PW | PL | PW–L% | 最終結果 |
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ミネソタ・ティンバーウルブズ | 1995–96 | 62 | 20 | 42 | .323 | 6th in Midwest | — | — | — | — | プレーオフ不出場 |
ミネソタ・ティンバーウルブズ | 1996–97 | 82 | 40 | 42 | .488 | 3rd in Midwest | 3 | 0 | 3 | .000 | 1st.ラウンド敗退 |
ミネソタ・ティンバーウルブズ | 1997–98 | 82 | 45 | 37 | .549 | 3rd in Midwest | 5 | 2 | 3 | .400 | 1st.ラウンド敗退 |
ミネソタ・ティンバーウルブズ | 1998–99 | 50 | 25 | 25 | .500 | 4th in Midwest | 4 | 1 | 3 | .250 | 1st.ラウンド敗退 |
ミネソタ・ティンバーウルブズ | 1999–00 | 82 | 50 | 32 | .610 | 3rd in Midwest | 4 | 1 | 3 | .250 | 1st.ラウンド敗退 |
ミネソタ・ティンバーウルブズ | 2000–01 | 82 | 47 | 35 | .573 | 4th in Midwest | 4 | 1 | 3 | .250 | 1st.ラウンド敗退 |
ミネソタ・ティンバーウルブズ | 2001–02 | 82 | 50 | 32 | .610 | 3rd in Midwest | 3 | 0 | 3 | .000 | 1st.ラウンド敗退 |
ミネソタ・ティンバーウルブズ | 2002–03 | 82 | 51 | 31 | .622 | 3rd in Midwest | 6 | 2 | 4 | .333 | 1st.ラウンド敗退 |
ミネソタ・ティンバーウルブズ | 2003–04 | 82 | 58 | 24 | .707 | 1st in Midwest | 18 | 10 | 8 | .556 | カンファレンスファイナル敗退 |
ミネソタ・ティンバーウルブズ | 2004–05 | 51 | 25 | 26 | .490 | (解雇) | — | — | — | — | — |
デトロイト・ピストンズ | 2005–06 | 82 | 64 | 18 | .780 | 1st in Central | 18 | 10 | 8 | .556 | カンファレンスファイナル敗退 |
デトロイト・ピストンズ | 2006–07 | 82 | 53 | 29 | .646 | 1st in Central | 16 | 10 | 6 | .625 | カンファレンスファイナル敗退 |
デトロイト・ピストンズ | 2007–08 | 82 | 59 | 23 | .720 | 1st in Central | 17 | 10 | 7 | .588 | カンファレンスファイナル敗退 |
ワシントン・ウィザーズ | 2009–10 | 82 | 26 | 56 | .317 | 5th in Southeast | — | — | — | — | プレーオフ不出場 |
ワシントン・ウィザーズ | 2010–11 | 82 | 23 | 59 | .280 | 5th in Southeast | — | — | — | — | プレーオフ不出場 |
ワシントン・ウィザーズ | 2011–12 | 17 | 2 | 15 | .118 | (解雇) | — | — | — | — | — |
ミネソタ・ティンバーウルブズ | 2014–15 | 82 | 16 | 66 | .195 | 5th in Northwest | — | — | — | — | プレーオフ不出場 |
Career | 1248 | 654 | 594 | .524 | 98 | 47 | 51 | .480 |