プロレスラーは、プロレス興行に参戦してリングで試合を行う者の総称である。レスラー、選手(せんしゅ)とも呼ばれている。
日本においては「プロレスラー」や「レスラー」、もしくは「選手」の呼称が最も一般的。女性のプロレスラーは通常「女子プロレスラー」の呼称が用いられるが、男性のプロレスラーを「男子プロレスラー」とは呼ばない。
アメリカのWWEでは「スーパースター」(女性は2016年中ごろまでは「ディーヴァ」。ただし、女子プロレスラー以外にも使用されていた)、メキシコのルチャリブレでは「ルチャドール」(女性は「ルチャドーラ」)と呼称される。この他に「ロースター」、「スターズ」といった呼称も使用される。
その他に各プロレスラーのギミックにより
などの呼称が用いられる。
メキシコを除き、プロレスラーとして収入を得るために免許(ライセンス)を取得する必要は無い。プロレスラーになるための経路も多岐に渡るが、現状では自分がプロレスラーであると名乗れば、誰でもなれると言える。ライセンスに対する取り組みは、日本ではかつて日本プロレスにおいて団体独自にライセンス発行を行っていた事があり、ルチャリブレの影響を受けたアルシオンでも「ライセンスナンバー制度」を設け、ナンバーを取得しなければ同団体のマットにレスラーとして上がれない仕組みを採っていた。また、2006年に発足したグローバル・レスリング連盟(GPWA)がライセンスの発行を計画していたが、結局実現せずに終わった。このほか、過去にプロレスのみならず格闘技全般を管理する「日本版アスレチックコミッション」創設が東京都議会に陳情されたこともある[1]。2009年には新日本プロレス、全日本プロレス、プロレスリング・ノアの3団体による共通ライセンスの発行が計画されたが、これも事実上頓挫した(詳細は後述)。
また、デビュー後も多くの試合で実戦経験を積むことが重要である。単発興行中心のプロモーションでデビューすると月に1試合前後しか出来ないが、巡業を行うプロレス団体では月に10試合以上となり、かつての大阪プロレスのように常設会場でほぼ毎日興行を行う団体に至っては月20試合以上を消化する場合もあった。また、インディー団体を中心に生活と試合経験のため、他団体に出場するプロレスラーは多い。
日本では、2009年3月に新日本プロレス(菅林直樹社長、山本小鉄相談役)、全日本プロレス(内田雅之取締役)、プロレスリング・ノア(仲田龍取締役)の3団体の代表による会談が行われて、3団体の共通ライセンスを発行することで合意したことが東京スポーツ紙上で報じられた[2]。背景には、2008年10月にインディー団体の所属プロレスラーが練習中に死亡する事故が起きたことなどがあるとのことで、3団体の主催試合に出場する外国人選手や他団体所属・フリーの選手については各プロレス団体の判断で、その都度ライセンスを発行する方針。また「他団体に干渉するものではない」としているが、門戸は広く開放し、他団体が同ライセンスを導入したい場合には積極的に受け入れる方針とのこと。6月13日に三沢光晴が試合中の事故で急死したことを受けて、7月に開かれた3団体のライセンス委員会では「1年毎に医師の診断書の提出を義務付ける」方針を決定。11月にもライセンス発行を開始したいという方針が明らかになった[3]。
2010年に入り具体的なライセンスの詳細を3団体で詰めた結果、三沢の一周忌に当たる同年6月13日に3団体合同でライセンス発行開始の記者会見を行う予定だったが、その前日になり全日本が記者会見をキャンセルし共通ライセンスからの離脱を決定(なお離脱の理由は明らかにされていない)。残る新日本プロレス、プロレスリング・ノアの2団体のみで共通ライセンスを発行する案も浮上したものの、結局同構想は頓挫することとなった[4]。
大半のプロレスラーはプロレス団体と呼ばれる興行会社の「所属」となっている。取締役、従業員といった正社員や契約社員を含め専属契約を結んでいる者の場合は「所属」、それ以外は本来、フリーランスとなるが、ただ単にその団体へ出場機会が多いだけで「所属」と呼ばれている場合もある。特に日本の場合厳密な契約書は存在せず、口約束、信用のみで契約を結ぶこともある。スタン・ハンセンは全日本プロレスとの契約は社長のジャイアント馬場との口約束のみで契約金を受け取っていたと語っている。アメリカのWWEは厳密な契約を結び、トップクラスのスーパースターは契約金以外にも滞在するホテルや航空便での座席に高いクラスを保証されるなどしている。
契約期間は年間契約での更新制、興行ごとなど様々である。団体と契約すると、肖像権や商標権などの束縛が発生することが多い(メジャー団体の場合は、放映権を持つ放送局との権利関係も存在する)。退団後、リングネームや技の名前が商標登録されているために使用できず、リングネームや技の名前を変えることがある。団体の経営方針との相違や活動の幅を広げるため、特定の団体に所属しないフリーのプロレスラーも多く存在する。フリーではあっても個人事務所を持ち独自で興行を行う者もいる。最近では飯伏幸太や紫雷美央のように複数の団体と所属契約を結ぶプロレスラーも現れている。
メジャー団体と呼ばれる大規模団体に所属するか常連としてリングに上がっている者を除けば、大半の者はプロレスラーでの報酬のみでは生活が出来ないため、アルバイトなど他の仕事で生計を支えており、収入実態だけを見ればプロレスラーがむしろ事実上の副業という状態の者も多い。かつて折原昌夫は産経新聞のグループ会社のウェブサイトで、「無名選手のファイトマネーは1試合500円である」と述べていた。DDTを主宰する高木三四郎はテレビ番組で、高木が他団体へ出場する場合のファイトマネーは1試合で5〜10万円で、DDTの若手のギャラは1試合1万円と述べた。その他、レスラーにもよるが飲食店などの店舗を経営したり芸能活動をしていることもある。2014年には大日本プロレスが東京スポーツの求人サイトで新人募集を行ったが、その際に給料が「(デビューまでは)全て引かれた上で月額3万円、デビューすると8万円」などと明記されていたためネット上で話題となった[5]。なお、高木がデビューしたのは横浜市内の複数の飲食店及び屋台経営者が共同出資する形で常設会場を経営していた屋台村プロレス(正式名称はプロレス屋台村15番街ヨンドン[6])であるが、高木が屋台村プロレスに所属していた時の1試合の報酬は金銭のギャラ及び「飲食店から提供される夜食」であったという。飲食店や屋台の来客への余興として行われる興行であったことから、客入りが良かった時期は焼肉が食べ放題であったが、客入りが悪くなると金銭のギャラが無くなった上に食事も中華の一品料理、果てはうどん1杯まで極端にメニューが劣化していったという[7]。
プロレスラーにとって、ショーマンシップは重要であり、また要求されるスキルの一つである。だが、特に日本においては武道において真剣勝負を尊ぶ思想の影響から、プロレスもプロスポーツの一つとして真剣勝負であるはずだという間違った認識を持つ者が多く、ショーマンシップが全面に押し出されたプロレスなどのショースポーツについては根強い嫌悪感が存在しており、昭和の頃から『プロレス八百長論』というものが主に他の格闘技のファンである識者から出され、これを根拠としたプロレスの本質からすると的外れ以外の何物でもないバッシングが幾度となく繰り返されてきた状況があった。
現代ではアメリカのWWEが株式上場の際、事業内容を公開するにあたってシナリオ(プロレス用語でブックやアングルなどと呼ばれる)の存在を公式に認めたことや、数々の暴露本によって、リングの上で行われている試合はエンターテインメント性に満ちたショーであるという前提が、一般にも認知されてきている。前述のWWEでは試合を行う者をレスラーとは呼称せず、「スーパースター」としている。
これらの要素はプロレスに携わる者にとっては奇術に於いて種を明かすのと同様にタブーであり、レスラー達は手品師が「種も仕掛けもありません」、というのと同様にプロレスがショーであることを一般に口にすることはしない。しかしながら、観客を楽しませる(感動を与える)試合を行うため、それに耐えうる強靭な肉体を維持し、確かな運動技術の上に高度な演出的要因を積み上げていることに成功しているのも事実である。このため、武藤敬司はプロレスを「格闘芸術」と称した[8]。プロレスラーとしての鍛錬を積んでいなければおよそ生命に関わりかねないほどの激しい技の応酬は、素人には到底真似のできるものではない。
プロレスは上記の通り競技ではないため八百長とは言えないが、興行や、興行を盛り上げるための各種演出に対して「事前に勝敗が決まっていることをマスメディアを含めたプロレス業界が認めず、勝敗を真剣に争っているように見せている」と主張する者もいる。ただし、WWEのように台本の存在を公言している団体や、ハッスルのように「ファイティング・オペラ」などと称してエンターテイメントであることを公言している団体も存在する。
日本でのプロレス団体(興行会社)運営には、多数(大抵年間100試合以上)の興行開催が必要であり、団体数も多く競合が激しいため、観客を魅了できる試合を常時提供できることが最重要となる。そのため、膠着が多いシュート(真剣勝負)は興行団体にとっては必要以上にプロレスラーを消耗させるものであるため極力避けるべきものであり、プロレスファンからもガチンコで発生するような単に凄惨なだけの試合展開は好まれない。また、プロレスラーの多くは、試合の勝敗よりもいかに観客を満足させる面白い試合を行うこと、プロレスの業界用語で「しょっぱい」と表現されるようなつまらない試合を行わないことを重要視する。かつて吉村道明がプロレスラーを「職業戦士」と呼んだことにも、その一端は垣間見られている。特にファンから「しょっぱい」という評判が付くことは、選手としての長期的な格や活動にもマイナスに響いてくるため、プロレスラーたちは試合の敗北以上に恐れ嫌がる。このため、プロレスラーは肉体の鍛練、技の開発以外にも、相手の技を引き立たせられる受け身の取り方、その他のリング上での様々なパフォーマンス、客を盛り上げ、あるいは笑わせる芸、果てには相手に技を掛けられた時の苦痛の表情の見せ方に至るまで、様々な研究を積み重ねている。
また、ベテランの域に達し、体力、持久力の衰えなどから魅力ある試合を観客に提供できなくなった自覚を得てプロレスラー廃業を決意する者も見られる。かのルー・テーズは「試合の出来に納得が出来なくなった」としてプロレスラーとしてのリタイヤを決意したが、このように「試合の敗戦」ではなく「試合の出来」に自身で納得できなくなり、プロレスラーからの廃業を決意したという旨のコメントは過去にも数多い。また、人並み外れた強靭さを見せることも商売であるため、病気や負傷による療養・闘病の姿が公になることを極端に嫌うプロレスラーは多く、後述するがプロレスラー廃業後にはプロレスの表舞台やマスコミの前に全く姿を見せなくなる人物も多い。
つまり、プロレスラーにとって最も重要な要素は、肉体と精神の両面の強靱さとプロレスの格闘技術の高さを誇示し、観客を熱狂・興奮させるショーマンシップの能力であると言える。興行(ハウス・ショー)の中においては自らの役割を確実に果たすことが求められるのである。鍛え抜かれた肉体も、磨き上げられた数々の技も、そして技を掛けられて苦痛に歪む表情も、究極的には全て観客に面白い試合を提供するためのものであり、観客からの評価が勝敗や獲得タイトル以上に重要な価値を持つのが興行としての特徴であり、ボクシングや総合格闘技など他の格闘技興行との大きな違いである。
たとえ試合で圧倒的な強さを示して勝利したところで、観客たちが喜ぶ面白い試合を提供できない、すなわち集客力に欠けるプロレスラーは、観客のみならず興行師(プロモーター)、そしてプロレス団体の経営陣からも好まれない。特にフリーや事実上それに近いスタイルで活動するプロレスラーにとっては、知名度と人気、そしてそれに支えられる集客力こそが様々なプロレス団体のリングを渡り歩く為の最大のセールスポイントになる。またかつてのアメリカでは「有料入場の観客数によってファイトマネーが変動する」制度が広く採用されており、メインイベンターが客を集められない場合にはその他の出場選手もファイトマネーを減らされるため、集客力に欠けるプロレスラーはプロレスラー仲間からも嫌われた。実際に坂口征二は若手時代の1969年にデトロイト地区でザ・シークとのタイトルマッチに挑むことになった際の心境について「私は『勝てるだろうか?』というプレッシャーよりも、むしろ『日本人の私がシークに挑戦して、お客さんが入ってくれるだろうか』というプレッシャーに悩まされた」と回想している[9]。
試合や興行を構築するためには、前述の強靱性以外にも表現力や適応力が求められる。試合中のアクシデントで負傷・流血していたり、高所から転落しようとも、試合はそのまま続行されることが原則である。また、対戦相手がいわゆる「しょっぱい」プロレスラーでも、見るに耐えうる試合に仕立て上げなければならない。技を失敗した後にうまく他の技で観客の失望感を消したり、盛り上がらなかった試合でも終了後に乱闘などの揉め事を意図的に発生させるなどの適応性が求められるのである。また、試合中の不慮のアクシデントによる負傷などで生じた相手プロレスラーのパフォーマンスの低下のリカバーなど[注釈 1]、興行を盛り上げるために咄嗟の機転を効かせることが求められることもある。
プロレス業界やプロレス関連のマスコミなどでは、このようなリング内外での表現力や適応力が高いプロレスラーを称賛する言葉として「ほうき相手に試合ができる」という言葉が存在している。DDTプロレスリングでは実際にダッチワイフのヨシヒコがプロレスラーとして試合に参戦しており、単なる人形を相手にプロレスラーが試合を組み立て成立させる、その技術を見ることができる。同様に総合的なレスリング技術・プロレス理論に優れて、どのような対戦相手であっても、そのパフォーマンスを引き立たせて、なおかつ自身の存在感も誇示できるような高い技能を持つ万能なプロレスラーを称賛するものとして「立って良し、寝て良し」という言葉がある。たとえトップスターではなくとも、このような形で高評価を得ることはプロレスラーにとって大きな財産となる。
また、ショービジネスであるため、トップスター以外にも引き立て役、脇役といったポジションのプロレスラーも必要となる。ジョバーと呼ばれる者がスターに技を掛けられ倒されることでスターの強さやテクニックを演出し、際立たせるのである。身長やルックスなどでトップスターにはなれなくとも、興行の上で必要とされれば団体との契約を続けられることも特徴である。セル(Selling)という用語があり、これは相手プロレスラーを映えさせること・映えさせる能力である。デビュー間もない新人がベテランプロレスラーの試合で健闘しているように見えるのは、新人プロレスラーの努力と練習の成果もあるにせよ、何よりもベテランプロレスラーが新人プロレスラーを引き立たせる戦い方を心得ているからこそである。
また、華がない、容貌が悪い、技術的な未熟などの点でトップにはなれないレスラーは、各団体内で自身のポジションを確立することが必要である。WWEのオーナーであるビンス・マクマホンは契約しているプロレスラーに、トップの器が無いと判断した時はそれを明確に伝え、別の目立ち方や役回りを提案するという。
このように、たとえどんな状況にあっても一定水準の試合内容をキープして、なおかつ対戦相手を最大限引き立たせるジョバーは興業全体から見ても大変重要な役割であり、またプロレスラー間の評価へと直結する。たとえば映画であれば主演俳優だけが一流スターで、いくら目立って良い演技をしても決して名作にはならず、主演以上に敵役や脇役にその重要性があるのと同じである。
しばしプロレスラー同士の評価をして「彼はグッドジョバーだ」といった表現が使われることがあるが、これはプロレスラーにとっては最大の褒め言葉であると同時に賛美と言える。
日本人プロレスラーの場合は「xxさんは柔らかい」といった言葉を用いる場合が多い。「柔らかい」イコール戦いやすい相手という意味であり、いかに受け、試合運び、セル(Selling)がうまいプロレスラーであるかという表現である。
トップスター以外のプロレスラーの中には、ショーマンシップの能力とは別に、なんらかの裏方的な立場を兼ねており、その方面の能力の高さでプロレス団体の運営に携わり、傍らでプロレスラーとしてリングに上がっているという者も見られる。実際、プロレスラーとしてはリングではスターの影に隠れるポジションであったとしてもマッチメイク、ブック、アングル作成の担当者として、あるいは、若手育成の為の指導役・相手役、そしてデビュー間もない若手にとっての「リング上で最初に乗り越えなければならない壁」の役目として、プロレス団体にとって大切な存在となっているプロレスラーは洋の東西を問わず少なからず見られる。
また、プロレスラーとしてはもっぱら第1試合担当であっても、プロレス業界有数の人脈の幅広さと情報収集能力の高さから、営業面の顔役的な存在としてプロレス団体の盛衰をも直接左右するほどに重要かつ必要不可欠な存在であると他団体の関係者からも認知されていた永源遙のようなケースもある[注釈 2]。
プロレスラーは「強くなければならない」という見方もされて、その常人離れした「強さ」を見せることもプロレスラーにとっては重要な商品価値である。これはリングの展開に説得力を持たせる意味もあり、新日本プロレスはストロングスタイルと称して全面的に押し出していた。また、リング外で一般人から挑まれたとき、あるいはリング上で何らかの意図を持った対戦相手から潰しにかかられたときに対処するためであるとも言われる。
しかしながら、相手を負傷せしめたり、プロレス団体の意図に背いて一方的に攻め立て対戦相手の商品価値を暴落させる行為はプロレス業界としては許されるものではなく、そのようなトラブルを起こすプロレスラーは業界から干されることにもなる。武藤敬司は「アメリカで一度としてリング上で仕掛けられたことはない」と証言しており、格闘技としてのスキルの高さや体力的な強さは必須ではあっても、相手を確実に打ち負かすという「真剣勝負の強さ」は必ずしもプロレスラー必携の要素ではないといえる。
一方、普段はジョバーとしてトッププロレスラーや若手を引き立てる役に徹している人物であっても、実際には格闘技術・体力両面で団体屈指の戦闘能力の持ち主であり、万一道場破りなどのリング内外でのトラブルやプロレス団体間の揉め事などからシュートの事態になった時には団体のエース級をも凌ぐ力量を発揮する強い戦力になる人物としてプロレスファンに認知されている人物も見られる。このように「プロレスラーとしての強さ」と「真剣勝負・シュートでの強さ」はまた別ということがいえる。
なお、アメリカンプロレスにおいてはプロレスラーが自らのキャラクター(ギミック)を崩してしまうことは、俗にケーフェイ破り(ブロークンケーフェイ)と呼ばれる絶対のタブーであるとされていた。WWEではソーシャルメディアの普及以前、より具体的には2014年のレッスルマニアXXXまでは[注釈 3]、プロレスラーが関わる何らかの重大事件、事故が発生した際や、プロレスラーの訃報に際してプレス対応する場合を除いては、試合中のみならず私生活に至るまで徹底したケーフェイの維持が求められていた。
日本でも試合中、強い打撃技やきつく掛けられる関節技の際に痛がる声を上げたり[注釈 4]、強烈なプロレス技を受けた際にグロッギー状態になってしまう[注釈 5]水準のセミプロやノンプロのギミックレスラーは、特にメジャー団体出身のストロングスタイルのプロレスラーからは大変に軽蔑される傾向が在るが、アメリカにおいてもリック・フレアーのような「超一流」と呼ばれるレベルのプロレスラーは、どんな強烈なプロレス技を喰らっても、極めて凄惨なハードコア・レスリングでも試合中絶対に自分のギミックを崩さない事を徹底しており、一般的の格闘技で求められる「肉体的な強さ」とは次元が異なる「精神的な強さ」がプロレスラーに求められている事を伺わせるものであった。
プロレスでは、欧米人(特にアメリカ人)の「相手の攻撃も受けた上で、その都度立ち上がり、それを上回る技術とパワーで勝つことがタフな男」という信念に基づいており、相手を精神的にも肉体的にも凌駕するべき、という考え方である。19世紀までのボクシングでも、フットワークを駆使し相手のパンチをよけることは「卑怯者の戦法」とされていた。この考え方は、大相撲の「横綱相撲」と通じるものがあり、相手の攻めを受けて、「魅せて勝つ」ことこそが上位の相撲として捉えられていることと同様である。難度が高い技を受けきって「魅せて勝てる」プロレスラーは、観客のみならず、同業レスラーからも賞賛を浴びる。漫画やアニメ、ゲームに登場するプロレスラーのトップクラス格のキャラクターは概して「打たれ強い」、「タフ」といった設定や傾向を持っている。
プロレスラーはその考え方をリングの上で表現して観客を楽しませている。しかし、その「受けの美学」が誤解されて「なぜあんな技をよけないのか?」といった批判にもならない的外れなクレームがあることも事実で、それが一般に「真剣勝負」として受け取られない一因にもなっている。こうした「受けの美学」を否定するレスラーも現れ、UWFのようなショー的要素を排除したプロレス(ただし、事前に勝敗は決まっている)が産まれたり、そこからさらに発展して総合格闘技戦に主戦場を移すプロレスラーも多くなっている。
だがジャイアント馬場の「シュートを超えたもの、それがプロレス」という言葉や、猪木の「(技を)9受けて10返す」といった言葉が象徴するように、プロレスはケンカやアマチュアボクシングと違い、ただ単に相手を見事に叩き潰して勝利すればそれでいいという物ではない。観客を満足させ、感動させることにも、時に優秀な戦績を超える重要な商業的価値があり、それこそが多くのプロレスラーの目指している理想の姿でもある。このため、相手の技を受けまくった上で負けたプロレスラーが観客から拍手や声援を受ける一方で勝者が罵声を浴びたり、まったく観客の興味を惹かずに相手にされなかったり、ということが試合内容次第で多々起きる。良くも悪くも、試合内容で観客を納得させて、ハートを掴めないプロレスラーはプロレスラーではないとも言える。
世界のプロレスラー189人について検討した結果、死亡時平均年齢は56.3歳と若く、プロレスラーは早死にする傾向が明らかになった。単純な比較はできないが、この年齢は大阪のホームレスの死亡時平均年齢56.2歳に匹敵する[14]。年齢を押し下げる要因は自殺、不慮の事故、心疾患である[14]。
プロレスラーとしてはまだまだ働き盛りであるはずの50歳以下での突然死も多く見られ、筋肉質の体型が多いことから筋肉増強を目的にステロイド薬を使っている為であるという報道も多い。ただし引退しても60歳前後で亡くなるケースも多い。対して、日本のプロレスラーの場合はガンなどによる死亡が一番多く記録されている。また、日米共通して言えることとして、最晩年には肝硬変や糖尿病に苦しめられていたと伝聞される者が少なくない。
日米問わずプロレスラーはその職業上の特徴として長期間の巡業が多く、日々の食生活とハードトレーニングでその逞しい肉体を作ったり、外食にしてもプロモーターなどとの会合や後援者、タニマチへのサービスなどが少なくないという意味では食事も仕事の一環であるため、肉類への偏りや暴飲暴食、飲酒過多などの問題があると考えられている。
実際、過去に報道されてきたプロレスラーの死のほとんどは試合中の事故に起因するものではなく、まだ激しい肉体労働の商売であることを考えれば、現実的に見れば食生活の面の問題が大きい状況が伺われる。
WWEでは、1987年よりコカイン・ヘロインなどの麻薬に関する検査を所属選手に対し行っている。また、2000年代に入り一時薬物が原因と見られる所属選手の死亡事故が相次ぎ、中にはエディ・ゲレロなどのスター選手も含まれていたことから、2006年より所属選手に対し定期的にドーピング検査を実施している。これらの検査の結果、問題が発覚した場合には契約を打ち切られ解雇される場合もある。
しかし、このような検査を導入しているプロレス団体は世界的に見ればごく一部であり、依然多くのプロレス団体においてプロレスラーの健康、肉体面の管理がなおざりにされて、各所に薬物の影響の影がちらついていることは否めない。
日本のプロレスには統括的なプロレス団体が存在せず、ステップアップとなるカテゴリー、リーグ制度も存在しないことから、日本相撲協会に見られるような引退後の職業の受け皿となるような組織も、プロ野球やJリーグ、モータースポーツに見られるような学生による競技組織や下位カテゴリーへの指導者としての就職といったケースも見受けられない。ボクシング等の他の格闘技に見られるような興行団体から独立した道場がほとんど無く、プロレス団体所有道場で養成が行われる形態が採られるため、プロレスラーとしての経験を生かして指導の立場に立てる機会自体がプロレスには極めて少ない。比較的大きなプロレス団体の場合にはプロレス団体の職員として再雇用されたり、坂口征二のように社長など役員を兼任するプロレスラーが、その役職に専念するケースもあるが、プロレス団体の崩壊により、現役継続の岐路に立たされた場合には、失業と同様の状態となってしまうケースも少なくない。
一部のプロレスラーはアントニオ猪木やアニマル浜口、風香のように引退後に自らプロレス団体や道場を起こしたり、小橋建太のようにプロモーターに転じたり、実業家やタレントや政治家への転身、或いは料理店を起こしたり家業の継承により引退後の生活を安定させるケースもあるが[注釈 9]、元々経営感覚に乏しい者や一般の社会生活に適応できなかった故にプロレスラーへの道を選択した経緯を持つ者、ギャンブル等に傾倒する癖のある者に至っては引退やセミリタイヤ後に完全に生活が破綻してしまうケースも見られて、最悪の場合には剛竜馬のように生活苦から犯罪を犯してしまったり、アダルトビデオに出演して家庭が完全に崩壊してしまうケースに至る場合もある。
そのため、健康上や肉体的な問題から当に現役を務めるには無理がある年齢となっても、定職が見つけられないままローカルインディー団体を転々としながらリングに上がり続けざるを得ない元メジャー団体所属プロレスラーは近年しばしば見られて、業界全体の構造問題として捉えられる向きも多い。
統括機関や公的なライセンス制度が存在しないプロレスラーという職業には、制度としての厳密な引退というものは存在しない。そのため、他のスポーツ選手や芸能人同様に、引退表明後に一定期間を置いて復帰するプロレスラーは多く、引退とは事実上の長期休養、休業を指すものとなっている。特にケガが元で引退した場合、試合をしなくなったことでケガが完治または快方に向かい、結果として復帰するケースが多い。一方、藤波辰爾のように一度引退表明したもののケガや病気が完治したため、引退を撤回して「生涯現役」を宣言するプロレスラーもいる。
全日本女子プロレスではかつて「25歳定年制」という暗黙の了解が存在して、25歳または実働10年に達したプロレスラーは引退することが慣例となっていたが、デビル雅美のようにフリーとして現役を続行したり、ジャパン女子プロレスなど他団体で現役復帰するプロレスラーもおり、全日本女子プロレスでもブル中野が25歳を超えて現役を続行して以降は廃止されることとなった。
大仁田厚やテリー・ファンクは引退表明後に引退ツアーを行ったが、後に復帰しており、大仁田はそれを複数回繰り返している。また、橋本真也は小川直也と「負けたら即引退マッチ」というアングルを付与された試合において敗北して一旦引退したが、ファンからの復帰要請に応えるというストーリーで復帰した。天山広吉のように敗北したら引退というアングルを組んだ試合で負けるものの、特に明確な理由を付けず通常通り試合に戻る者もいる。さらに米山香織のように引退セレモニー中に引退を撤回する者もいる。
一方でプロレス界の風習となってしまった「引退→復帰」の流れを嫌うプロレスラーも存在している。川田利明は負傷の蓄積や体重の減少から試合を行うのが困難であり、飲食店の経営に専念しているが、「俺がプロレス辞める時は『引退』ではなく『休業』という事にしてくれ」と述べている。また、温厚な人柄で知られる小林邦昭が引退の際に記者から「復帰はいつ頃ですか」と言われて激怒したというエピソードもある[注釈 10]。蝶野正洋は体力の問題から「復帰の可能性はほとんどない」としながらもあえて「引退」ではなく「休業」を宣言している[注釈 11]。他の職業同様に、「引退」は退職、休業となる場合もある。