ベルナール 82
ベルナール 82(Bernard 82)は、ソシエテ・デ・アヴィオン・ベルナールが設計/製造したのフランスの単発単葉の長距離爆撃機である[1]。2機の試作機が製造されただけで量産には入らなかった[1]。
ベルナール 82は、長距離飛行の記録樹立のために製作された長距離機ベルナール 80 GRを基に開発された[1]。全金属製の3座爆撃機は当時「報復爆撃機」(bombardier de represaillies)として知られ[1]、中翼に配置された片持ち式の主翼に、エンジンは860 hp (641 kW)のイスパノ・スイザ 12Ybrs エンジンを搭載していた[1]。試作初号機は1933年12月11日にル・ブルジェ空港から初飛行を行い、1934年3月に試作2号機がこれに続いた[1]。試験飛行の間に胴体側面の連装ラジエーターは前面ラジエーターに変更されたが、最大の問題点は降着装置であった[1]。引き込み式の降着装置は頻繁に故障して、脚が出ないまま着陸することになり、これは解決することなく1935年半ばには試験飛行は中止された[1]。10機の量産契約はキャンセルされた[1]。
1936年8月に試作2号機のエンジンがユンカース・ユモをライセンス生産した650 hp (485 kW)のCLM Lille 6ASに換装された[1]。この航空用ディーゼルエンジンを搭載した機体は「ベルナール 86」と改称され1936年9月に開催されたパリ=サイゴン・エアレースに参加申し込みをしたが、準備が間に合わず廃棄処分にされた[1]。
出典: [1]The Illustrated Encyclopedia of Aircraft
諸元
性能
武装