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選手情報 | |||||||||||||||
フルネーム | Paavo "Pekka" Johansson(後にJaale) | ||||||||||||||
愛称 | Pekka、フィンランドのジム・ソープ | ||||||||||||||
国籍 | フィンランド | ||||||||||||||
種目 | やり投、十種競技 | ||||||||||||||
所属 | HKV, Helsinki (FIN) | ||||||||||||||
生年月日 | 1895年10月21日 | ||||||||||||||
生誕地 | フィンランド共和国南スオミ州ウーシマー県ヘルシンキ | ||||||||||||||
没年月日 | 1983年12月5日(88歳没) | ||||||||||||||
死没地 | フィンランド共和国南スオミ州ウーシマー県ヘルシンキ | ||||||||||||||
身長 | 170cm | ||||||||||||||
体重 | 70kg | ||||||||||||||
自己ベスト |
やり投:64.64m(1919年) 十種競技:7474.385点(1919年) | ||||||||||||||
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編集 |
ペッカ・ヨハンソン(Paavo "Pekka" Johansson、後にJaale、1895年10月21日 – 1983年12月5日)は、フィンランドの陸上競技選手である。彼は、1920年に開催されたアントワープオリンピックのやり投で銅メダルを獲得した。
アントワープオリンピックでのやり投競技は、12の国から25人の選手が出場して8月15日に実施された。予選と決勝は同日に行われ、予選上位の10選手が決勝に進んだ。
ヨハンソンは予選を2位で通過して、決勝に挑んだ。決勝では同じフィンランド代表のヨニ・ミューラとウルホ・ペルトネンに続いて63メートル9センチの記録で3位に入り、フィンランド勢がメダルを独占する結果になった。なお、同競技の4位には、やはりフィンランドから出場したユーホ・サーリストが入っている[1]。
彼はこのオリンピックで十種競技にも出場したが、初日の種目が終わった時点で棄権した[2]。4年後のパリオリンピックではやり投のみに出場したが、決勝に残ることはできなかった[3]。
年 | 大会 | 場所 | 種目 | 結果 | 記録 |
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1920 | アントワープオリンピック | アントワープ(ベルギー) | やり投 | 3位 | 63.095m |
1920 | アントワープオリンピック | アントワープ(ベルギー) | 十種競技 | 途中棄権 | |
1924 | パリオリンピック | パリ(フランス) | やり投 | 予選敗退(8位) | 55.10m |