ボビー・トーラン

ボビー・トーラン
Bobby Tolan
ボビー・トーラン(2017年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州ロサンゼルス
生年月日 (1945-11-19) 1945年11月19日(79歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
170 lb =約77.1 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1963年
初出場 MLB/1965年9月3日
NPB/1978年4月9日
最終出場 MLB/1979年9月19日
NPB/1978年9月13日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

ロバート・トーラン(Robert Tolan、1945年11月19日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス出身の元プロ野球選手外野手)。

陸上競技選手のエディ・トーランいとこにあたる。

経歴

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1965年にメジャーに初めて昇格する。1967年は110試合に出場。さらにワールドシリーズにも初めて出場し、ボストン・レッドソックスを破ってワールドチャンピオンとなる。

1968年は前年に続いてワールドシリーズに進出したが、デトロイト・タイガースに敗れた。10月には日米野球のアメリカ代表であるカージナルスの一員として来日。10月26日巨人との第2戦では城之内邦雄から本塁打を放ち、またハイレベルな守備で日本側の注目を集めた[1]10月11日ベイダ・ピンソン とのトレードが決まり、ウェイン・グレンジャーとともにシンシナティ・レッズに移籍した。

レッズ1年目の1969年は初の3割となる打率.305に加えて21本塁打、93打点を記録し、さらにナ・リーグの中堅手として同年1位となる1試合あたり2.81のレンジファクターを残した[2]。さらに1970年にはともにキャリアハイとなる打率.316、57盗塁を記録し、初の個人タイトルとなる盗塁王に輝いた。しかし1971年アキレス腱を痛めてシーズンを棒にふっている。翌1972年は打率.283、82打点、42盗塁と復活を遂げ、ハッチ賞カムバック賞を受賞した。1973年は打率.206と成績が低迷し、11月9日にサンディエゴ・パドレスへのトレードが発表され、クレイ・カービーとの交換でデーブ・トムリンとともに移籍している。

1976年2月12日にパドレスから放出され、フィラデルフィア・フィリーズに移籍。さらに翌年ピッツバーグ・パイレーツに移る。1978年南海ホークスのオファーを受け、3月31日に入団が発表された[3]。NPBデビューとなった4月9日の対クラウンライター戦でいきなり適時打を放ち、また中堅手として好守も見せている[4]。しかしシーズン通算では打率.268、6本塁打に終わり、同年限りで退団。当時南海の選手だった門田博光は「当時メジャーからトーランという外国人が来ていて、その選手がすり足で走っていたので、聞いてみると彼もアキレス腱を断裂した事があった。それはいろいろヒントになったし、地面を蹴った時のアキレス腱への負担がこないような走り方を変える必要があるのが分かりました。それが長くやれた理由です。」[5]と述べている。翌1979年は再びパドレスでプレーし、オフに現役を引退した。

引退後は指導者の道を歩み、メジャーでは、パドレスとシアトル・マリナーズでコーチを歴任。マイナーでは、1984年から翌年にかけてパドレス傘下のAA級ビューモント・ゴールデンゲーターズ1988年から1989年にかけてはボルチモア・オリオールズ傘下のA級エリー・オリオールズでそれぞれ監督を務めている。また。2006年にもシカゴ・ホワイトソックス傘下のルーキー級グレートフォールズ・ボイジャーズで監督を務めた。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1965 STL 17 71 69 8 13 2 0 0 15 6 2 1 0 1 0 0 1 4 1 .188 .197 .217 .415
1966 43 103 93 10 16 5 1 1 26 6 1 2 0 2 6 2 2 15 1 .172 .233 .280 .513
1967 110 294 265 35 67 7 3 6 98 32 12 7 3 3 19 0 4 43 6 .253 .309 .370 .679
1968 92 296 278 28 64 12 1 5 93 17 9 5 2 0 13 3 3 42 8 .230 .272 .335 .607
1969 CIN 152 691 637 104 194 25 10 21 302 93 26 12 10 2 27 2 15 92 9 .305 .347 .474 .821
1970 152 675 589 112 186 34 6 16 280 80 57 20 9 7 62 3 8 94 9 .316 .384 .475 .860
1972 149 667 604 88 171 28 5 8 233 82 42 15 6 7 44 5 6 88 15 .283 .334 .386 .720
1973 129 501 457 42 94 14 2 9 139 51 15 10 7 7 27 2 3 68 11 .206 .251 .304 .555
1974 SD 95 394 357 45 95 16 1 8 137 40 7 9 6 2 20 4 9 41 5 .266 .320 .384 .703
1975 147 560 506 58 129 19 4 5 171 43 11 13 14 2 28 3 10 45 15 .255 .306 .338 .644
1976 PHI 110 290 272 32 71 7 0 5 93 35 10 5 2 5 7 3 4 39 8 .261 .285 .342 .627
1977 15 17 16 1 2 0 0 0 2 1 0 0 0 0 1 0 0 4 0 .125 .176 .125 .301
PIT 49 80 74 7 15 4 0 2 25 9 1 1 1 1 4 0 0 10 1 .203 .241 .338 .578
'77計 64 97 90 8 17 4 0 2 27 10 1 1 1 1 5 0 0 14 1 .189 .229 .300 .529
1978 南海 98 393 360 31 96 10 1 6 126 36 6 5 2 2 18 0 11 38 6 .267 .320 .350 .670
1979 SD 22 25 21 2 4 0 1 0 6 2 0 0 4 0 0 0 0 2 2 .190 .190 .286 .476
MLB:13年 1282 4664 4238 572 1121 173 34 86 1620 497 193 100 64 39 258 27 65 587 91 .265 .314 .382 .696
NPB:1年 98 393 360 31 96 10 1 6 126 36 6 5 2 2 18 0 11 38 6 .267 .320 .350 .670

記録

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NPB

タイトル

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MLB

表彰

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背番号

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  • 17(1965年 - 1968年)
  • 28(1969年 - 1977年途中)
  • 24(1977年途中 - 同年終了)
  • 4(1978年)
  • 23(1979年)

脚注

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  1. ^ 読売新聞、1968年10月27日付朝刊、P.9
  2. ^ baseball-reference.com
  3. ^ 読売新聞、1978年4月1日付朝刊、P.19
  4. ^ 読売新聞、1978年4月10日付朝刊、P.17
  5. ^ ホークス75年史―南海、ダイエー、ソフトバンクー継承される栄光の歴史、ベースボール・マガジン社、2013年、70頁

関連項目

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外部リンク

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