マイク・ポーカロ | |
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マイク・ポーカロ(2005年に行われたライブでの演奏シーン) | |
基本情報 | |
出生名 | Michael Joseph Porcaro |
生誕 | 1955年5月29日 |
出身地 | アメリカ合衆国・コネチカット州 |
死没 | 2015年3月15日(59歳没) |
ジャンル |
AOR ジャズ ロック フュージョン |
職業 | ベーシスト |
担当楽器 |
ベース コントラバス チェロ |
活動期間 | 1982年 - 2008年 |
共同作業者 | TOTO |
マイク・ポーカロ(Mike Porcaro 本名:Michael Joseph Porcaro、1955年5月29日 - 2015年3月15日)は、アメリカの主にセッション・ミュージシャン(スタジオ・ミュージシャン)として活動していたベーシストで、TOTOのメンバーとしても知られる。後年はALSを患い、2008年より療養生活に入っていたが、復帰を果たせぬまま2015年に死去した。
ジャズ・パーカッショニスト、ドラマーのジョー・ポーカロ(1930〜2020)(イタリア系アメリカ人)を父に、3兄弟の次男として出生。同じくTOTOのメンバーだったドラムスのジェフ・ポーカロは兄、キーボード奏者のスティーヴ・ポーカロは弟。
高校時代より、兄弟のジェフ、スティーヴや、デヴィッド・ペイチ、スティーヴ・ルカサーらとともにバンド活動を始め、以降は主に他アーティストやバンドのサポートを中心に活動。サポートミュージシャンとしては、ジョー・ウォルシュ、ボズ・スキャッグスとの共演で知られていた。同じくセッション・ミュージシャンとして活動していたジェフ、スティーヴが結成に関わったTOTOがメジャーデビューを果たすが、この時点ではマイク自身はまだ同バンドの活動に参加していない。
1982年、『TOTO IV(聖なる剣)』リリース直後に脱退したデヴィッド・ハンゲイトの後任である正式メンバーとしてTOTOに加入する。『TOTO IV』収録曲のプロモーション・ビデオはハンゲイトが脱退後に撮影されたため、映っているのはマイクであるが、音源はハンゲイトのものが使用されている。
1990年、EARTHSHAKERのアルバム『PRETTY GOOD!』にプロデューサーとして参加した[1]。
2007年に筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症し療養することとなり、コンサートツアーにはリーランド・スカラーが代役として参加したが、マイクが復帰できないまま、翌2008年にTOTOが解散となった。
2010年、マイク救済のためにペイチやルカサー、弟のスティーヴらがTOTOを期間限定で再結成し、ツアーを開催する。ベースにはフォープレイのネイザン・イーストが代役を務めたが、TOTOの公式サイトでのメンバー一覧では、療養中も正規メンバーとしてそのまま扱われていた[2]。
2015年3月15日午前0時14分、自宅で家族に看取られながら死去したことが、弟のスティーヴによってフェイスブックで公表された[3]。59歳没。
世界的に見て5弦ベースを最も早い時期に使用したプレイヤーの一人であり、5弦ベースが世に知れ渡る前(1986年頃)にはLow-Bを効果的に使用していた。
<使用ベース>
主な使用ベースは以下
※1999年にPeavyとエンドースした事でステージでは主にシーラスを弾いていたが、レコーディングや地元の小さなギグでは様々なベースを使用していた。
<使用機材>
アンプ