マーティン・ペイジ Martin Page | |
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出生名 | Martin George Page |
生誕 | 1959年9月23日(65歳) |
出身地 |
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ジャンル | ニュー・ウェイヴ、ポップ・ミュージック、ポップ・ロック、ソフトロック、アダルト・コンテンポラリー・ミュージック |
職業 | ミュージシャン、音楽プロデューサー |
担当楽器 | ボーカル、ベース |
活動期間 | 1981年 - |
レーベル |
マーキュリー・レコード Ironing Board Records |
共同作業者 |
Tight Fit Q-Feel アース・ウィンド・アンド・ファイアー |
公式サイト |
martinpage |
マーティン・ペイジ(Martin Page、1959年9月23日 - )は、イングランド出身のシンガーソングライターにしてベース奏者である[1]。
1994年、ペイジはデビュー・ソロ・アルバム『ハウス・オブ・ストーン・アンド・ライト(en:In the House of Stone and Light (album))』を発表した。彼がグランド・キャニオンへの訪問を反映して書いたタイトルトラックは、同じ年に発表された。そのシングル「In the House of Stone and Light」は、Billboard Hot 100で14位に達した[2][3][1]。
その後すぐ、彼の両親や何人かの親愛な友人が亡くなる悲劇に見舞われた。彼は2008年になってスタジオに戻り、ペイジとダイアン・ポンチャー (Diane Poncher)が立ち上げた独立レーベル「IroningBoard Records」のためにセカンド・アルバム『In the Temple of the Muse』をレコーディングした[4]。『In the Temple of the Muse』収録曲の中には、ペイジによる「Mi Morena」と「Blessed」(ペイジが「コミットメント・ソング」と呼ぶ曲)の録音がある。彼は「Blessed (いまいましい)」とは具体的な誰かのことではなく[5]、母親がまだ生きていて、曲を書いているときにスタジオの周りで、悲しくなるから演奏しないでと彼に訴えているのだと述べた。
ペイジのサード・アルバム『A Temper of Peace』は2012年にリリースされ、2015年には『Hotel of the Two Worlds』がリリースされた。2017年、彼は5枚目のアルバム『The Slender Sadness (The Love Songs)』を発表した[2][3][1]。2018年10月、彼は『The Amber of Memory』と呼ばれるインストゥルメンタル・アンビエント・ミュージックで構成される6枚目のアルバムをリリースした。
ペイジはいくつかのイギリスのバンドとツアーを行っている。彼は友人のブライアン・フェアウェザーとポップ・グループのQ-Feelを結成した。Q-Feelは、ヒットシングル「Dancing in Heaven (Orbital Be-Bop)」で成功を収めた。その後すぐに、ペイジとフェアウェザーはロサンゼルスに移り、そこで音楽監督のダイアン・ポンチャーに出会った。当時、ポンチャーは「Cavallo, Ruffalo and Fargnoli Management」のボブ・カヴァッロのために働いていた。彼女はペイジとフェアウェザーに可能性を見出し、最終的に代理店を離れてマネージャーとなった[2][3]。
ポンチャーとフェアウェザーと共に、ペイジはアース・ウィンド・アンド・ファイアー、キム・カーンズ、バーブラ・ストライサンドなどのバンドとコラボレートした。彼は最終的にエルトン・ジョンの長年にわたる共作者であるバーニー・トーピンと仕事するようになった。ペイジとトーピンは、スターシップの1985年のヒットシングル「シスコはロック・シティ」や、ハートの1986年のヒット曲「ジーズ・ドリームス」を作詞作曲している[2][3][1]。
ペイジはレイ・パーカー・ジュニアによる『ゴーストバスターズ』のテーマソングでキーボードを演奏した。1987年のトーピンによるアルバム『Tribe』で2人は再びコラボレートし、後にゴー・ウエストのヒットシングル「King of Wishful Thinking」と「Faithful」を共同で作詞作曲した。ペイジは、ロビー・ウィリアムズ、コモドアーズ、ロビー・ロバートソン、トム・ジョーンズ、ジョシュ・グローバンなどのアーティストと仕事をしてきている[2][3][1]。
ペイジは3匹の猫と、南カリフォルニアに住んでいる。結婚はしていない。