メイ・ヘレン・エマ・エイベル・スミス(Lady May Helen Emma Abel Smith, 1906年1月23日 クレアモント・ハウス - 1994年5月29日 ロンドン[1])は、20世紀のイギリス王室の広義の成員。ヴィクトリア女王の曾孫。陸軍将校の妻としてイングランドで生涯を送ったが、夫がクイーンズランド州総督の公職にあった期間は総督夫人としてオーストラリア赴任に同行した。
アレグザンダー・オブ・テック公子と、ヴィクトリア女王の孫娘アリス・オブ・オールバニ王女の間の第1子・長女として、英王室所有のクレアモント・ハウスで誕生。洗礼名メイは父の姉で国王ジョージ5世の妻であるメアリー王妃の愛称に因むものである。
初名はプリンセス・メイ・オブ・テック(Princess May of Teck)だが、第一次世界大戦中の1917年にジョージ5世が国民の反独感情を慮って自身及び親族のドイツ由来の家名・称号の放棄を決めた際、テック家一族が新たに名乗った「ケンブリッジ」姓となる。同時に、父が国王から受けたアスローン伯爵位に依拠する伯爵令嬢の礼遇を得て、レディ・メイ・ケンブリッジ(Lady May Cambridge)となった。王室の縁者として様々な行事に参列、1923年には又従兄ヨーク公爵(後のジョージ6世)の婚礼において、花嫁エリザベス・ボーズ=ライアンのブライズメイドを務めている[2]。
1931年24日、両親の居館ブラントリッジ・パークのあるウェスト・サセックス・バルコムのセント・メアリー教区教会にて[3]、近衛騎兵連隊所属の陸軍中尉で父の副官を務めていたヘンリー・エイベル・スミスと結婚。夫はノッティンガムシャー[4]の銀行家一族に始まるスミス・アンド・キャリントン家の一員で、後に陸軍中佐まで昇進、サーの称号を得ている。この婚礼のブライズメイドにはヨーク公爵夫妻の長女エリザベス・オブ・ヨーク(後のエリザベス2世女王)[5]の他、メイの又従妹のスウェーデン王女イングリッドと従妹のザクセン=コーブルク=ゴータ公女ジビラが含まれており、後者2人が知り合ったことがきっかけで、ジビラはスウェーデン王室に嫁ぎカール16世グスタフ王の母となった。
1958年エリザベス2世はヘンリー・エイベル・スミスをオーストラリアのクイーンズランド州総督に任命、エイベル・スミス夫妻は1966年の退任まで豪の同州の州都ブリスベンに住み総督府の公務をこなした。晩年はバークシャー・ウィンクフィールドのバートン・ロッジ(Barton Lodge)で隠居生活を送った。
1994年死去し、ウィンザー城セントジョージ礼拝堂にて葬儀が行われ、王室代表としてエリザベス女王の従弟妹であるグロスター公爵とアレグザンドラ王女が出席した[6]。1994年6月9日埋葬式があり[7]、遺骸は前年死去していた夫と共にフロッグモアの王室墓地に埋葬された。
夫との間に子女3人。