パリ8区ロワイヤル通り (Rue Royale) 16番地にあるラデュレの店舗 | |
種類 | Société Anonyme |
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本社所在地 |
フランス フランスマルク=アン=バルール |
業種 | 食料品 |
外部リンク |
ラデュレ公式(フランス語) ラデュレ公式(日本語) |
ラデュレ (Ladurée) とは、1862年創業のフランスパリのパティスリー。マカロン・パリジャンの発祥のお店[1][2]。
1862年、フランス南西部で製粉業を営んでいたルイ=エルネスト・ラデュレ (Louis Ernest Ladurée) が、当時新興ビジネス街として栄え、フランス屈指の高級職人たちが拠点としたパリのマドレーヌ界隈にあるロワイヤル通り16番地にブーランジュリーを開店したことから始まる。
1871年に火災が起き[3]、ブーランジュリーはパティスリーに生まれ変わった。内装はオペラ・ガルニエの天井画などを手がけた有名なポスター作家、ジュール・シェレ (Jules Cheret) に任され、彼がロワイヤル店の天井に描いた「パティシエ天使」は、その後のラデュレを象徴する存在となる[2]。
ラデュレの妻、ジャーヌ・スシャールは、パリのカフェとパティスリーという2つの異なるジャンルをミックスさせることを思いつき、女性たちが自由に来られるパリで最初のサロン・ド・テが誕生した[4]。
20世紀中盤、ラデュレの従弟ピエール・デフォンテーヌが2つのマカロンの間にガナッシュ(クリーム)を挟むことを提案し、これが「マカロン・パリジャン」の始まりとなった[5][2]。以来、当時の作り方がそのまま守り続けられている。
1993年、パン屋チェーンのオルデー・グループ (Groupe Holder) の創設者である父フランシス・オルデーと、息子で元パン職人兼パティシエ見習いのダヴィッド・オルデー (David Holder) はラデュレを買収し、ダヴィッドがラデュレの社長となる。
1997年9月、アベニューシャンゼリゼ75番地にラデュレ・シャンゼリゼを開店させた。ナポレオン3世様式の特徴である古い時代の大理石や浮き彫り装飾、2階にある高価な調度品で飾られた一続きの小さなサロンなど、 " L’art de vivre à la française" (フランス流美しき生活)を象徴する場所となる。
現在ではフランスをはじめ、イギリス、日本[6]、イタリア、レバノン、アメリカなど、国際的に展開している[7]。各店舗は「御婦人方が寛いでお喋りを嗜んでいた昔の談話サロン」をイメージして内装が施されており、19世紀当時の内装を活かしている「ラデュレ・ロワイヤル」と「ラデュレ・ジュネーブ」の他は現代インテリアデザイナーがイメージテーマに添って担当している。